わが国エンジニア教育史――身内事例のユニークな史観
私の史観は、いわゆる歴史教科書から学んだものではありません。ユニークな史観です。一般的ではない偏見に満ちた史観であることは自覚しています。

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。
私の史観は、いわゆる歴史教科書から学んだものではありません。ユニークな史観です。一般的ではない偏見に満ちた史観であることは自覚しています。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年02月18日 11:20 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「函館五稜郭戦争が、わが国エンジニア教育の原点。――」
と、私は思っています。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年02月19日 09:05 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
歴史定説にはありませんが、わが国のエンジニア教育の嚆矢(「かぶら矢」の事)は徳川家沼津兵学校です。以下、幕臣の子孫として幕府側の描写をお許しください。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年02月20日 08:35 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
静岡で与えられた石高は70万石でした。これでは全幕臣の生活はできません。幕臣の憤懣やるかたなく、薩長軍に対する復習の念に燃えたでしょう。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年02月27日 20:55 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
田辺コンサルタントの祖父、幕臣(石斎)田邉朔郎は徳川家沼津兵学校付属小学校の卒業生です。そして田邉朔郎の叔父、幕臣外国奉行支配組頭(蓮舟)田邉太一は徳川家沼津兵学校の一等教授(5名)の一人となって参加しました。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年02月28日 21:25 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
明治4 (1871) 年に岩倉具視を団長とする訪米使節団が横浜を出発しました。徳川幕府時代にペリー率いる黒船の力によって無理やり締結させられた不平等条約の改正のためでした。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年03月01日 09:14 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
グラスゴー大学から工部大学校へ赴任してきた多数の先生のトップは25歳のヘンリー・ダイアーでした。授業はすべて英語で行われました。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年03月01日 18:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「授業は全部英語だった」
と、前回述べました。このことに関しては、拙著:「生涯現役エンジニア」の17ページ5行目に記載しました。この本に関しては、次のURLを開いてみてください。http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31832743
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年03月03日 10:03 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
「3Kに挑んだ武士の子」の項で紹介したように、田邉朔郎も6年生の1年間測量実習にでました。エンジニアが自分自ら手を下して実地測量するなどは、ヨーロッパでは考えられないことでした。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年03月06日 18:27 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)
前回琵琶湖疏水に関する田邉朔郎の卒業論文が、実際に琵琶湖疏水として実現したことを紹介しました。107年経た今も、京都市飲料水の100%を供給している文字通りの生命線です。
投稿者: 田邉康雄 日時: 2008年03月07日 21:26 | パーマリンク | コメント (0) | トラックバック (0)