生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

« 琵琶湖疏水下り(10):明治維新による京都の危機(衰退)、それを救った薩長の琵琶湖疏水 | メイン | 琵琶湖疏水下り(12):明治維新による京都の危機(衰退)、それを救った薩長の琵琶湖疏水 »

琵琶湖疏水下り(11):明治維新による京都の危機(衰退)、それを救った薩長の琵琶湖疏水

京都市上下水道局が『琵琶湖疏水下り(通船)』を復活し、来る3月29日から運行開始します。以下のURLを見てください。https://biwakososui.jp/biwakososui/ 
これに因んで琵琶湖疏水を説明します。タイトルは以下の通りです。

主タイトル:明治維新による京都の危機、それを救った薩長の琵琶湖疏水
副タイトル:「恩讐の彼方へ」協力した徳川幕臣たち ~ 明治維新150周年に当って明治維新に関係した薩長/幕臣両者子孫の回想と将来展望

339.
340. 〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
341. ⅩⅩⅩⅣ <お待たせしました。第一疏水トンネルクラウン扁額の「謎解き」です。>
342.  琵琶湖側の入口から、①伊藤博文、②山縣有朋、③井上馨は、長州第二奇兵隊時代の旧知。④薩摩の西郷従道
343. は、国道が(西南戦争下)熊本県副知事時代に陸軍大臣。反乱西郷軍の西郷菊次郎が負傷して政府軍に投降した
344. 際、副知事国道は従道に報告した。従道は大いに喜んで菊次郎を許した。これが後の菊次郎京都市長就任に繋が
345. る。⑤薩摩の松方正義は、琵琶湖疏水計画の参考とした安積疏水(会津戦争の後処理)の推進者(大久保利通の
346. 後継者)で琵琶湖疏水の支援者(松方緊縮財政の下で国の予算を最小限に抑えた国道の計画を歓迎した)、そし
347. て京都側の出口の⑥三条実美は、生野の変の支援者であり、長州派。以上いずれも、琵琶湖疏水の支援者で
348. あり、①~⑤は、「国道日記(塵海)」に名前が出てくる数において、ベスト5である。
349.
350.  長州と薩摩で固めてあるが、目立つ琵琶湖側の入口を伊藤博文、そして京都側の出口を三条実美という、長州
351. 閥の超大物で固めた。そしてあまり目立たない中間に薩摩を配置した。そして自分自身は、まったく目立たない
352. 第一トンネル、伊藤博文と山縣有朋の下に隠れて配置した。またインクライン下「ねじりまんぼ」の両側に配置
353. した。
354. 〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
355. ⅩⅩⅩⅤ   <さて、北垣国道と片山東熊の関係>
356.    1)山縣有朋は、第二長州奇兵隊の隊長だった(第二は、高杉晋作死後編成)。
357.    2)片山東熊は、長州第二奇兵隊に属した。
358.    3)北垣国道は、長州第二奇兵隊に属した。当時の名前は、柴捨蔵
359.
360.    4)片山東熊の兄、湯浅則和も、第二奇兵隊に属した。
361.    5)湯浅則和は、山縣有朋の汚職事件(山城屋事件)を一身に被って「引責辞任」した。
362.    6)山縣有朋は、湯浅則和を恩に着て、湯浅の弟、片山東熊に庇護を(一生に亘って)与えた。
363.    7)このことが、東熊が「宮廷建築家」になれた遠因であると言われる。
364.
365.    8)北垣国道は、奇兵隊時代の山縣有朋と明治になっても協力関係にあった。
366.      ①だから、北垣国道は片山東熊と協力関係を強化したかった。
367.      ②よって、北垣国道は田邉朔郎の姉、鑑子を片山東熊に娶せた。
368.      ③これによって片山東熊も北垣国道の血縁人脈に組み込まれた。
369.       地縁・血縁によって人脈を築く北垣国道の典型的姿(真骨頂)である。
370. 〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
371. ⅩⅩⅩⅥ <第二期蹴上発電所「レンガ建物」の久邇宮邦彦王扁額の謎解き(その1)>
372.     設計者は、片山東熊である(仮説)。以下この「仮説」を証明する。
373.      ①田邉朔郎は、京都市三大事業の顧問を拝命していた。
374.      ②朔郎は、建築物の設計は、これを手掛けない。
375.      ③東熊設計になる御所消火用水取水室「レンガ建物」と概観がよく似ている。
376.        取水室は宮内省から受けた御所消火用水の取水口「小屋」だった。
377.        片山東熊は、宮内省内匠頭(建築局長相当)だった。
378.        発電所の完成時期は、ほぼ同時(取水口の方が一年遅い)。
379.
380.      ④赤坂離宮(現迎賓館)完成後、で暇だった。
381.      ⑤東熊は、明治天皇に「赤坂離宮は華美に過ぎる」と言われたので失意の中にあった。
382.      ⑥だから、京都市三大事業顧問の田邉朔郎が、暇な片山東熊に設計を依頼できた。
383.      この状況証拠によって設計者が片山東熊であったことは、80%程度証明できる(100%は後述)。
384. 〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇●
385. ⅩⅩⅩⅦ <第二期蹴上発電所「レンガ建物」の久邇宮邦彦王扁額の謎解き(その2)>
386.     東熊は、宮内省内匠頭だった。
387.     しかし、自分の設計物件の扁額を宮様にお願いできるような身分ではない。
388.     久邇宮邦彦王に扁額の揮毫を依頼した人は、北垣国道だった。以下このことを証明する。
389.
390.     国道が首謀した「生野の変」は、「文久三年八月十八日の政変」が契機となった。 
391.     久邇宮邦彦王の父君、朝彦親王は中川宮朝彦親王であり、薩摩藩と呼応してその政変を画策した。
392.     第一疏水第三トンネル出口の長州派公家三条実美に匹敵する薩摩派の殿上人は邦彦王しかなかった。
393.     国道は、自分が首謀した「生野の変」に関係がある薩長の殿上人で琵琶湖疏水を固めたかった。
394.     
395.     ≪当時の状況≫
396.      1)国道は、剣道を奨励した(前任者は禁止した)。
397.      2)京都着任早々に「大道場」と称する武芸施設を設立した。
398.      3)毎年正月に邦彦王の父君、朝彦親王に年賀に伺い、その際邦彦王に剣術の指南をした。
399.      4)朝彦親王は文久三年八月十八日の政変で親長州公家を追放した親薩摩の公家だった。
400.
401.      5)邦彦王の奥方様は、薩摩藩最後の藩主、島津忠義の御息女俔子様だった。
402.      6)邦彦王の御息女、良子様は、昭和天皇の御妃、香淳皇后であらせられる。
403.      7)今上陛下の外祖父に当たり、「やんごとない」宮様であらせられ、かつ、親薩摩だった。
404.
405.      8)国道は、琵琶湖疏水建設に関して長州と薩摩のバランスをとることを考えたと思われる。
406.      9)そこで、「第一疏水の長州、第二疏水の薩摩」でバランスをとった。
407.
408.      10)国道は、前述の「大道場」を、「大日本武徳会」と名付け、宮様を総裁に担いだ。
409.      11)第三代総裁は、邦彦王だった。この時期に第二期発電所が完成した。
410.      12)その時期、国道は勅撰貴族院議員であり、邦彦王は皇族貴族院議員であった。
411.
412.      13)「勅撰」と「皇族」の違いはあるが、「貴族院議員」であった。だから、――。
413.      14)国道は「やんごとない」宮様邦彦王にもお願いできる身分だった。
414.
415. だから、大日本武徳会の御縁でお願いしたと考えられる。
416.
417. 付表-2 久邇宮邦彦王、大日本武徳会、北垣国道、琵琶湖疏水、片山東熊、田邉朔郎 比較年表
418.
419.    ≪当時の、別の状況≫
420.     1)国道が内務省次官を3日で辞任して北海道庁長官を志願した。
421.     2)北海道でやり遂げたい仕事の最大のものは、北海道防衛のための鉄道網敷設。
422.     3)大日本帝国陸軍は北海道の中心旭川に第七師団を駐留させていた。
423.
424.     4)国道は、第七師団が旭川から北海道のどの海岸にも一日で移動できる鉄道網を考えた。
425.     5)鉄道敷設のために、東大教授をしていた朔郎を、文部大臣西園寺公望に掛け合って引き抜いた。
426.     6)朔郎は軍用鉄道敷設のため、旭川第七師団長陸軍中将大迫尚敏男爵と何度も会った(朔郎日記)。
427.     7)在任期間中、北海道庁長官北垣国道が、第七師団長と何度も会っていたと考えられる。
428.
429.     8)大迫尚敏は近衛師団が長く、旅団長少将の時、久邇宮邦彦王が少尉任官の際、銀杯を賜った(現物)。
430.     9)後年、扁額をお願いする際、殿下にかつての上司、大迫尚敏のことが話にでてもおかしくない。
431.
432.     10)大迫は、明治天皇と乃木希典大将の信任が厚く、明治天皇が御崩御あそばされた際、自決された
433.       乃木大将の遺言により、第11代学習院長となり、畏れ多くも初等科に御在学中の昭和天皇を
434.       御養育申し上げた。すなわち、皇室と物理的に極めて近い関係にあった。だから、――。
435.     久邇宮邦彦王⇔大迫尚敏子爵⇔北垣国道男爵の側面支援ルートも有って不思議ではない。
436.
437.   結論:久邇宮邦彦王に扁額を依頼申し上げることのできる人は、北垣国道の他には居ない。
438.      なお北垣国道は、第二疏水の取水口にもお願いして扁額「万物資始」を頂いた。
439.
440.      第二疏水の発電所(レンガ)建物については、明治天皇御発注になる赤坂離宮の設計者、
441.      片山東熊の設計だからこそ、宮様にお願いできた。即ち、宮様にお願いできたことによって、
442.      レンガ建物が、東熊の設計になるものであることを、傍証的に100%証明できたと考える。

次回(12)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2018年03月17日 18:26 |

« 前の記事 | 次の記事 »

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




youtue

京大OB・OGガイドブック

初回メール相談無料

エントリー検索

 

カテゴリー

アーカイブ

労働安全衛生マネジメントシステム

田辺コンサルタント著書の書籍紹介

商店街の街並み設計

田辺コンサルタント・グループ
代表取締役 田邉康雄
〒140-0014
東京都品川区大井6-20-6
TEL 03-3776-2495
FAX 03-5742-7695
お問合せフォーム

このブログを購読