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木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(25)

昨日(2017年11月27日〔月〕)の木内昇作小説「万波を翔ける」は、第229回でした。

 太一は、外国奉行支配「調役並」から「調役」に昇格し、祝いの酒を買ってきました。新婚の妻、己巳子が「お兄上の(一年前に死亡した)孫次郎様に報告せねば」といってます。

孫次郎は私の祖父田邉朔郎の父親です。即ち、曽祖父です。この時、朔郎は1歳9か月でした。
己巳子は、(木内昇さんはそこまでは書いていませんが)荒井郁之助の妹です。郁之助は、後の戊辰戦争の際、江戸を脱走した幕府海軍の猛者。函館戦争で榎本武揚総裁の下で海軍奉行を務めました。

そして血縁・地縁で結び付く田邉太一、榎本武揚、大鳥圭介、荒井郁之助の四人組は協力し、戊辰戦争において薩長官賊軍に最後(明治2年5月)まで抵抗しました。太一は四人組の首領格です。
因みに陸軍奉行を務めた大鳥圭介は、後、工部大学校校長時代に、朔郎を京都琵琶湖疏水プロジェクト推進している京都府知事北垣国道に推薦しました。旧徳川幕府の四人組が協力して、長州閥の国道に推薦したものです。

―― 木内昇さんの小説は、暦が頻繁には書いてないのが特徴です。これを太一著「幕末外交談」で調べたところ、「文久3(1863)年夏」であることが分かりました。三条実美等七人の公家が長州へ逃げた、有名な「八月十八日の政変」と同時期です。

―― また、私の母方曽祖父北垣国道(明治政府の枢密顧問官正二位男爵、京都府知事時代に琵琶湖疏水プロジェクトを推進)が、若い頃の幕末において倒幕「生野の変」を旗揚げするために、公卿三条実美麾下の公卿沢宣義(明治政府の外務大臣)を迎えに長州へ走った頃です。

―― 話もどって太一は、万延元年遣米使節団に随行してワシントンで人気者となった米田桂次郎(トミー)を呼んで一緒に祝っています。太一は自宅にトミーを呼んで英語塾を開き、自分も習っています。
小説には書いてありませんが、塾の場所は、上野七軒町です。現在の台東区小島二丁目21番地です。つくばエクスプレス新御徒町駅の蔵前駅に近い方向の出口を出たところです。

―― 一方居宅は、もともと兄孫次郎が住んでいた内神田柳原八名川町です。現在の千代田区東神田二丁目5番地、JR総武線浅草橋西口を出た目の前です。
小説では湯島と書いてありますが、違います。ここで孫次郎の遺児、私の祖父田邉朔郎一家を支えています。太一が田辺家本家を支えてくれたので、本家は、その後の戊辰戦争も生き延びることができました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年11月28日 07:32 |

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