生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

« 木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(23) | メイン | 木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(25) »

木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(24)

先週土曜日(2017年11月17日〔土〕)は、木内昇作小説「万波を翔ける」は、第223回でした。徳川幕府が生麦事件の賠償金10万ポンドを英国に支払ったと記述されています。

私は、田辺太一著坂田精一訳・校注『東洋文庫72 幕末外交談-2』(昭和41年8月10日、平凡社発行)の巻末年表を参照しながら、かつ、本文を読み直しながら木内さんの小説を読んでいます。
この年表によると、場面は1863(文久3)年6月(新暦)。田邉朔郎の父親、孫次郎が他界した半年ほど後です。

―― すでに紹介した、読売新聞大阪夕刊連載「維新の記憶~1863年倒幕の志生野の変」のインタビューで紹介した私の母方曽祖父北垣国道が倒幕のための農兵を募集・訓練している頃の話です。
この3ヶ月後、倒幕「生野の変」が挙行されました。私は、倒幕と佐幕と異なる立場で動いていた二人の「御先祖様」を比較しながら小説を読んでいるので、小説の状況が手に取るようによく分かります。

―― 雪嶺三宅家と朔郎田辺家
さて前回(23回)の記事をお読みになった一部の方から、テレビに出た、田邉太一の曾孫三宅立雄さんと私田邉康雄の間に交流はあるかというお問い合わせを受けました。答はイエスです。

登場した三宅立雄は、太一の娘、田邉龍子花圃(三宅雪嶺に嫁いで三宅花圃)の男、勤の子、即ち太一の曾孫です。私とは兄弟の曾孫同士に当たります。
平安時代末期の田辺湛増から続く田辺家は、私の朔郎田邉家が本家であり、太一は分家です。しかし分家に男子なく、断絶しました。よって朔郎田辺家が太一の祭祀継承家です。

すでに述べましたが、太一の遺骨は朔郎田辺家の東京青山墓地に埋葬されています。番地は、Ⅰ種口-8-16です。なお、三宅家の墓と隣接しています。もともとは、田邉朔郎が田邉太一のために作った一つの墓でした。その墓碑の写真のガラス原版は私が持っています。

―― 本家を救った分家
田辺分家太一は、幕末・明治初期の動乱期の没落寸前の本家を救ってくれました。太一は、野球で言えば、田辺本家「中継ぎ投手」です。この中継ぎにより、田辺本家「負け試合(滅亡)」を免れました。本家の私が現在生きているのも太一のお陰です。

―― 徳川家における太一の立身
太一は御家人の、しかも次男、いわゆる「厄介の身」でありながら、今、木内昇さんが小説に書いているとおり、徳川幕府において学問と行動力をもって大活躍をしました。実力で旗本に立身しました。

最終的に太一は、目付にまで立身しました。それだけでなく、70万石を許された静岡徳川家達公の下、沼津の徳川兵学校の一等教授もさせてもらいました。沼津に本家を招いて本家を支えました。

―― 晩年の田邉太一
蓮舟と称して、晩年は自由奔放に生きました。文筆活動に徹しました。活動の柱は、薩長批判でした。そして徳川にも批判の矛先を向けました。「幕府に外交のことなし、ただ朝意を奉じて遂げざる跡のみ」と。いずれも日本を思う心からでした。

―― 朔郎による太一の支援
自由奔放に生きた太一の晩年、その生活を祖父田邉朔郎が支援しました。太一のために家を建て、生活費も負担しました。そこへ太一の娘婿とその夫、が合流しました。三宅花圃と三宅雪嶺です。結果的には、この二人を加えて三人の生活を田邉朔郎が支援したことになります。この支援により、三宅雪嶺も自由に執筆活動ができました。

今回の三宅立雄は幼いころ、彼の祖父三宅雪嶺と、祖母三宅花圃(旧姓田邉花圃)と過ごしました。立雄は、「その時、祖母花圃から田辺太一のことを聞いた」と言っております。ですから、太一を語るには最適な人です。

―― 三宅家と田邉家の交流
冒頭に述べた「イエス」に付け加えます。三年前の2014年1月15日、三宅立雄に呼ばれて二人で講演しました。総合演題は「三宅雪嶺の親族たち~田邉朔郎を中心に」でした。

その演題の下、三宅立雄は「三宅家の親族について」、そして私は「田邉太一と田邉朔郎~三宅花圃の父・田邉太一と(花圃の)従兄田邉朔郎(即ち、太一と朔郎は叔父と甥の関係)」を語りました。その時の案内パンフレットの写真を添付します。

このように現在も、三宅立雄と私田邉康雄の間には、太一の情報に関して電話等で確認し合う交流が続いています。DNA的にいうと、三宅立雄は、田邉太一のDNAを「8分の1」も継承しています。それに対して田邉家本家、かつ、太一家の継承家の私は「256の1」しか継承していません。しかし時々、顔が太一に似ていると言われるのはうれしいことです。

――――――――――――――――――――
このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。特に身内を語る時は身贔屓をお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

―――――――――――――――――――― 

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年11月20日 08:48 |

« 前の記事 | 次の記事 »

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




youtue

京大OB・OGガイドブック

初回メール相談無料

エントリー検索

 

カテゴリー

アーカイブ

労働安全衛生マネジメントシステム

田辺コンサルタント著書の書籍紹介

商店街の街並み設計

田辺コンサルタント・グループ
代表取締役 田邉康雄
〒140-0014
東京都品川区大井6-20-6
TEL 03-3776-2495
FAX 03-5742-7695
お問合せフォーム

このブログを購読