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木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(23)

先週(2017年11月11日【土】)のTBSテレビ、夜9時からの一時間番組「1453回日立世界ふしぎ発見」は、御覧になった通り『海を渡った幕末のサムライ』でした。副題は、スフィンクスと写真を撮った男たちでした。いつも通り、草野仁さんが司会し、黒柳徹子さん等がクイズ回答者でした。

―― 海を渡った幕末のサムライ
とは、文久三年(1863)12月に品川を出発した遣欧使節団(池田使節団)のことでした。外国奉行池田長発を団長とする「横浜鎖港談判使節団」です。

―― 木内昇作小説「万波を翔ける」
昨日(2017年11月16日)は、第221回でした。場面は、生麦事件の後始末に追われる太一です。事件は文久二年(1862)8月に起こりましたから、テレビの場面は小説よりも一年以上後のことです。いずれ小説でも書かれるでしょう。

―― 幕末明治初期の田辺太一
太一は、この時期の8年間に3回も遣欧使節団の裏方の長を務めました。まず一回目は、今回のテレビで紹介されたように、太一は池田遣欧使節団の組頭を拝命しました。
二回目は、幕末最後の徳川昭武パリ万博使節団(1867年2月出発)の組頭、そして三回目は明治初期の岩倉遣米欧使節団(1871年12月出発)の書記官長でした。
その後も明治14年まで、外務大丞(外務省ナンバー4)として外交の裏方として仕事をさせてもらいました。ですから太一は、我が国における職業外交官の第一号と言われます。木内昇さんが小説の主人公をとして取り上げてくださったことは頷けます。

―― 田邉太一の娘婿、三宅雪嶺
TBS番組においては、田邉太一の写真が掲載されました。三宅立雄が太一を語りました。三宅立雄は田邉太一の娘、三宅花圃の子、三宅勤の子です。即ち、太一の曾孫です。そして私田邉康雄は、太一の兄、田邉孫次郎の曾孫です。

― ―――― ――――
「万波を翔ける」第22回目は以上です。次回(24回)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年11月17日 07:01 |

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