生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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木内昇歴史小説『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(21)

頭書タイトルによる連載記事を続けます。さる9月8日に(20)を投入して以来、他に優先してやりたい事があったので、また1ヶ月近く間が空いてしまいました。

―― タイトルの小説は現在、日本経済新聞夕刊に毎日(除日曜祝日)掲載されている連載小説。作家は、直木賞受賞作家の木内昇さんです。

―― 主人公は、田邉太一。私の祖父田邉朔郎(琵琶湖疏水・蹴上水力発電所)の叔父で、朔郎の育ての親、後見人です。太一の子孫は絶えたので現在、私どもの朔郎田辺家が祭祀を継承しています。遺骨は、東京青山の田辺家墓地に埋葬されています。

―― 太一は、徳川幕府と明治薩長政府に仕えた日本初の職業外交官です。徳川幕府外国奉行所組頭時代に、遣欧使節に二度、組頭(役料500俵)として随行し、明治になってから、薩長明治政府に外務省から「外務少丞(外務省No.5)」として呼び出され、岩倉遣米欧使節団の書記官長として随行しました。

―― 昨日(2017年10月5日)は、連載187回。場面は進行して文久元年の12月。この約1ヶ月前に、祖父田邉朔郎が生まれました。
朔郎の父親、かつ、太一の兄、田邉孫次郎(私からは曽祖父)手放しで喜んでいます。「これで田辺の家が繋がった。父の田辺新次郎石庵(私からは高祖父)に顔向けがなる」と。

―― 万延元年遣米使節団、そして文久元年遣欧使節団にも随行できず意気消沈しています。原因は、使節団長となる予定だった直属上司の外国奉行水野忠徳等が英国領事オールコックからの横やりが入って外されたからでした。

―― 意気消沈しているところに、水野忠徳が「小笠原島調査」の命を受けました。部下の田辺太一は当然随行することになります。小野友五郎を船長とする咸臨丸に乗って小笠原行きでした。咸臨丸は、長崎海軍伝習所ですでに経験していました。

―― 昨日の場面は、嵐を乗り切って島に到着したところです。水野は、太一が制止するのも聞かず、幕閣の禁止指示に逆らって大砲で祝砲を放ちました。島民を脅かすためだそうです。ペリーに倣って。

「小笠原は日本の宝」と。
これは、ある東京都関係者のお言葉です。「東京都の小笠原諸島があるが故に、日本のEEZが3割増えている」と。この宝は、水野忠徳の「小笠原調査」の賜物であり、咸臨丸のおかげです。咸臨丸としての唯一の実利のある成果でした。
比較しては悪いのですが、万延元年遣米使節団の随伴艦咸臨丸の勝海舟等が有名ですが、実利成果がありません。

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「万波を翔ける」第20回目は以上です。次回(22回)に続きます。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。特に身内を語る時は身贔屓をお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。


投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年10月06日 08:12 |

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