生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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ISOMS、自己宣言、コンサルタント ― 回顧と反省 ― (23)

エンジニア田邉康雄が、ISOMSの世界に入り、ISOMS認証ビジネス」に批判的になり、適合実証のための自己宣言をコンサルタントするに至った経緯を回顧しています。なおここでISOMSとは、ISO9001、ISO14001、ISO45001(現在DIS2)等のISOマネジメントシステムを指しています

前回(22回)から続きます。前回は、いよいよプロジェクトエンジニア人生の内、第二生「ISOMSの世界」に入った経緯に入ると書きました。

昭和57(1982)年、46歳の時、「三菱化成は一生を託すに足る会社ではない」と実感する事件が発生しました。
三菱化成四日市工場においてプラント建設を担当していた、私の腹心の部下(製造課長)が、本人のプライドを大きく傷つけられる形で更迭されたのです。

―― 製造課長
私が会社生命を掛けて10年かけて推進していた、自己技術開発によるある石油化学品製造プラントの建設・運転プロジェクトを担当してもらっていた製造課長でした。
製造製品2種類の1種においてプラント立ち上がりに時によくある、 初期流動管理が完璧ではなかったことが咎められました。

―― 初期流動回復
私は本社事業部技術部次長でそのプロジェクト建設の指揮をとっていましたが、担当研究所長とともに四日市工場に出張して設備改造を立案し、予算を申請して9ヶ月後に完璧なものとしました。

―― 状況変化
この事件を契機にして私のプロジェクトを担当していた事業部は解体され、私のプロジェクトは別の事業部に移されました。プラント改造を立案した私も、製品1種類「9ヶ月空白」の責任を問われ、私が立ち上げたプロジェクトから外されました。
その翌年、黒崎工場時代から私に期待を掛けて頂いていた「ある」御方、かつ、前述した初期流動管理にもアドバイスをしていただいていたその「ある」御方が、ガンでお亡くなりになりました。その御方は、前述した「別の事業部」の事業部長で早くから社長候補と言われていた御方でした。

―― 転身の決心
私は、京大大学院卒業の際に教授に向かって 宣言した「技術担当副社長」を目指して一途にやってきましたが、その目指す所を取り下げました。その時まだ47歳でしたが、60歳定年退職後は、三菱化成に頼らずに生きようと決心しました。妻にもそう告げました。
そしてそれまでの間に、三菱化成のためにもう一仕事しようと決心し、その「もう一仕事」を10年掛けて完成し、もう思い残す所はなくなりました。その「仕事」は、私の定年退職後に後継者が社長賞を受賞しました。

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投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年09月21日 07:24 |

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