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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(38)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、北垣国道の「第一生(倒幕の志士)」をしゃべりました。今、「第三生(北海道防衛と国政参加)」をしゃべっています。

「琵琶湖疏水・蹴上水力発電所」以外に、国道が京都に残した事績は以下の通りです。

<教育関係>
«体力増進» 大日本武徳会の支援・・・剣術等武芸による体力増進・・・前任者の槇村正直知事は、剣術を禁止しました。これに対して国道は奨励しました。幕末には、坂本龍馬とともに江戸千葉道場において千葉重太郎から北辰一刀流を学び、明治になってからは、山岡鉄太郎から一刀正伝無刀流を学びました。国道は剣の達人と言われています。

«知力向上» 
女紅場の発展・・・・・女子の初等教育
    尋常小学校の発展・・・女子の初等教育
    府立中学校の充実・・・男子の中等教育
    府立女学校の充実・・・女子の中等教育
    同志社学校の育成・・・尊皇教育と両立させたキリスト教の容認
第三高等学校の誘致・・・男子の高等教育
    京都帝国大学の誘致・・・男子の高等教育

以上により、現在の京都は人口に対する学生比率が全国一であり、京都市街全体が「一大」教育クラスターと化しています。その結果、京都で高等教育を受けた者による理系ノーベル賞受賞が全国一であることは周知のとおりです。私は、京都の「教育」は北垣国道の遺産だと考えております。
    
<産業振興>
京都商工会議所創設

<史跡保存>
祇王寺の再建・・・嵯峨野の別荘を寄付・移転

―― 「三高・京大」誘致の経緯
大阪にあった第三高等中学を、明治(1889)年に京都に移し、これを母体として明治27(1894)年に、第三高等学校が設立されました。これにより、第二の帝国大学が京都に立地することが決まりました。明治30(1897)年に開校された京都帝国大学です。これは現在の京都大学です。

第三高等中学は大阪に立地が決まっていました。この時に当たって明治19(1886)年、京都府知事北垣国道は、文部大臣森有礼が、「土地代と建設費約16万円の内、10万円負担すれば京都府に決めてもよい」と考えているとの情報を得ました。

そこで直接森有礼の官邸に赴き、これを確認しました。これは想像ですが、肝っ玉の据わった国道ですから、「京都府は、必ず10万円を負担する」と大見えを切ったでしょう。
直ちに京都府に持ち帰り、府会議員の説得にかかりました。議員の中には、「京都府が負担した土地と建物が国の所有物になるのは納得ができない」という、反対論がありました。
しかし国道の説得により、府会は賛成32反対30の僅差で認可したそうです。明治19年といえば、琵琶湖疏水工事に着手して二年目です。第一トンネルの難工事の最中でした。この困難な時期に10万円も京都府(=京都市)に負担させたのですから、国道の度胸には感服します。

第三高等中学が第三高等学校になり、ここへ第二の帝国大学(京都帝国大学)が設立されました。現在の京都市は、学術都市、ハイテク都市、です。これは、琵琶湖疏水・蹴上水力発電所の動力によるハイテク企業群と京都大学を頂点とする大学群によって成り立っています。琵琶湖疏水も京都大学も、現在の京都市にとっておおきな財産です。

―― 同志社学校支援の秘話
京都仏教勢力は、キリスト教の学校が京都に立地することに反対していました。しかし国道は、教育を振興するためなら、キリスト教を容認するとの考えをもっていました。そこで長女静子を同志社女学校へ入学させました。これにより、仏教勢力を抑え込みました。そして静子は、デントン先生に師事しました。

話変わって静子の娘に、とし子(私の叔母)がいました。とし子は、湯本武雄と結婚しました。とし子は、武雄が亡くなった直後にキリスト教洗礼を受けました。その時、とし子の娘さん(私の従姉)二人は「何事がおこったか?」と不思議に思われたそうです。

私康雄の従姉、中村妙子(旧姓田辺)は、朔郎・静子によって小学校4年生まで育てられました。その際、妙子は静子から直接聞きました。「静子は同志社女学校デントン女史に教わった」と。その影響でしょうか、キリスト教に入信したらしいのです。
しかし、周囲の者はそのことを誰一人として知りませんでした。と、言うことは、朔郎と結婚した後は、そのことを隠していたと思われます。いわば「隠れキリシタン」でした。

この母、静子に育てられた娘、とし子も(私の推測ですが)同じく「隠れキリシタン」だったようです。この推測を従姉二人に告げたところ、「それで分かった」と御納得されました。

―― 祇王寺のいきさつ
祇王寺は明治初年に神仏分離令後の廃仏毀釈廃によって廃寺となりました。しかし残された墓と仏像は旧地頭の大覚寺によって保管されました。大覚寺門跡の楠玉諦師はこれを惜しみ、再建を計画していた時に、北垣国道が祇王の話を聞き、明治二十八(1895)年に嵯峨にあった別荘一棟を寄付しました。これが現、在の祇王寺の建物です。参照:「祇王寺」http://www.giouji.or.jp

次回(39回)は、北垣国道像をひ孫の立場から総括します。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。

事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年09月04日 07:38 |

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