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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(37)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、北垣国道の「第一生(倒幕の志士)」をしゃべりました。今、「第三生(北海道防衛と国政参加)」をしゃべっています。

ここでは、「旧官軍(国道)に骨の髄までしゃぶられた旧賊軍(朔郎)」という、視点でまとめます。途中からお読みになっている方のために書きますが、朔郎にとって国道は、戊戦争の仇、しかし、抗うことのできない巨大な岳父です。

北垣国道は、榎本武揚等函館五稜郭戦争の残党四人組から田邉朔郎を紹介され、半信半疑で使って見たところ、予想外によくやるので気に入りました。
そこで国道は、朔郎の知らないうちに長女静子を朔郎の嫁に決めました(国道日記)。朔郎は結婚式まで静子の顔を知りませんでした。
後年朔郎は言いました。「たまたまうまく行ったからよいようなものの、人には勧められない」と(石斎随筆)。

―― 京都市コンサルタント
田邉朔郎は明治23年に東京の帝国大学教授となり、京都を離れました。しかし国道は京都府知事兼、京都市長でした。国道の依頼により、朔郎は京都市土木事務監督を兼務しました。

―― 北海道と国家
明治25年、国道は北海道庁長官となって京都を離れました。北海道では、ロシアから守るための鉄道敷設に邁進しました。
その鉄道敷設のために、朔郎を帝大教授の職を捨てさせて北海道臨時鉄道建設部長に任命しました。帝大側の反対に会いましたが、国道は、(戊辰戦争で従って面識のある)時の文部大臣西園寺公望に直談判して落手しました。
国道の北海道における最大の功績。それは国防のための鉄道敷設でした。攻めてくるロシアに対して旭川の第七師団が、どの海岸へも一日で移動できるような鉄道網を引きました。(新線を除いて)すべての路線の中心が旭川です。地図でご確認ください。

―― 旭川第七師団
国道が北海道庁長官をしていた際、旭川第七師団長、薩摩の大迫尚敏中将男爵と打ち合わせのために会談しています(田邉朔郎日記)。二人は、30年前に参戦した「鳥羽伏見の戦い」の話で花が咲いたでしょう。
第七師団は、日露戦争の旅順港攻略戦においてロシア最後の拠点「203高地」を攻め落とした師団でした。北海道に温存していたロシアに対する精鋭部隊が、旅順でお役に立ちました。
前回紹介したように、大迫尚敏は私の妻、智子(旧姓大迫)の曽祖父です。国道も尚敏も、それぞれのひ孫が結婚するとは想像もしていなかったでしょう。

―― 京都帝大
明治33年に鉄道敷設プロジェクトが成って朔郎を大学に返す話が出たとき、男爵・貴族院議員であり、大きな力をもっていた国道は、朔郎を東京帝大ではなくて京都帝大に返しました。
京都帝大は、北垣国道が京都復興の一環として京都へ誘致した第二の帝国大学でした(「学習指針と教養部案内」昭和62年京都大学教養部発行、P-3)。ですから自分が誘致した京都帝大を強化するという意味もありました。しかし真の狙いは、これは後述します。
後に朔郎は、「京都の田辺になってしまった」と、嗣子多聞の嫁、美佐子(私康雄の母親)に不満を漏らしました。先祖の地、江戸(東京)へ帰りたかったのでしょう。

―― 日露戦争
京都帝大に赴任させる直前に、露国シベリア鉄道の敷設状況調査に朔郎を出しました。これも北垣国道が、長州閥の陸軍に提案したものでした。
「明治38年末に旧満州を通過してウラジオストックまで開通する」と朔郎は復命しました。この報告を受けた長州桂太郎内閣は、明治37年2月開戦と決定しました。朔郎の報告が日露戦争の大きな勝因となりました。

―― 再度の京都市コンサルタント
朔郎を京都帝大にもってきた真の目的は、京都市三大計画のコンサルティングでした。朔郎は、京都帝国大学教授の傍ら、京都市顧問を拝命しました。

―― 国道による京都市への支援
国道は明治33年に貴族院議員となりました。朔郎の計画を「国の立場」から支援したと考えられます。朔郎は、国道の意をくんで第二疏水・蹴上水力発電所を、「京都市三大計画」の形でまとめました。計画が完成する明治41年まで、国道は陰に日向になり、朔郎を支援しました。

―― 京都市三大計画に対する国道の貢献
第二琵琶疏水・第二期蹴上水力発電所を柱とする「京都市三大計画」に関する国道の関与が忘れられていますが、これをお読みになった方は、思い出してくださることをお願い申し上げます。

―― 国道のさらなる栄達
京都市三大計画が明治45年に完工した年、国道は、枢密顧問官となりました。私はこれを偶然の一致とは考えません。
薩長政府が念願の「京都復興」の成功を高く評価した結果だと考えております。即ち、京都復興は、一地方都市の問題ではなく、薩長政府の死活問題、即ち、国の問題であったことがよく分かります。


次回(38回)は、「国道が京都に残した、琵琶湖疏水・蹴上水力発電所以外の事績」をお届けします。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。

事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

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投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年09月01日 06:38 |

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