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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(35)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、北垣国道の「第一生(倒幕の志士)」をしゃべりました。今、「第三生(北海道防衛と国政参加)」をしゃべっています。

前回(34)、中央官庁に高等官七等で出仕した国道を紹介しました。つづけます。

―― 榎本武揚
「黒田清隆の縁を辿って開拓使に出仕したらしい」と、すでに述べました。そして、この黒田清隆はよく知られている通り、榎本武揚と浅からぬ因縁をもっていました。即ち、――。
黒田清隆は、降伏した函館五稜郭幕府脱走軍の榎本武揚(全軍総裁)、大鳥圭介(陸軍奉行)、荒井郁之助(海軍奉行)を助命して新政府で使いました。

―― 北垣国道⇔黒田清隆⇔榎本武揚⇔田邉太一⇔田邉朔郎
結論を先にいうと、北垣国道は、黒田清隆の縁で榎本武揚と知り合いになりました。そして榎本武揚が、函館五稜郭戦争の同志田邉太一の甥、田邉朔郎を国道に引き合わせ、朔郎を気に入った国道は長女静子を朔郎の嫁にやり、その結婚仲人を榎本武揚が勤めました。

―― 人脈の国道
人脈を「とことん」、すり減るまで使うのが国道でした。国道の生涯においてすり減るまで使ってもらった人脈の一人が田邉朔郎でした。
朔郎も使ってもらってハッピーだったでしょう。旧幕臣でありながら、薩長の世において、立身の道が開けました。薩長の世で官位従三位まで立身できたことは、国道のおかげでした。

―― 薩長と徳川の連携
薩摩黒田清隆を介して長州北垣国道は、徳川の榎本武揚、大鳥圭介、荒井郁之助、そしてこの三人の裏にいた田邉太一と密接な関係を持つことになります。
そしてすでに紹介したとおり、長州北垣国道は、旧幕臣榎本武揚の紹介によって旧幕臣田邉太一の甥、旧幕臣田邉朔郎を琵琶湖疏水の担当者に採用しました。このことが「京都市にとって偶然の大きな幸い」であったことは、すでに紹介しました。

―― 開拓使における国道
以下、簡単年表を記載します。
明治4(1871)年8月:開拓使高等官七等・・・中央官庁課長クラス
       12月:開拓使権判官庶務掛
明治5(1872)年2月:大阪出張
        3月:榎本武揚が高等官四等で開拓使に出仕。
        5月:札幌詰で北海道巡回物産取調掛
          開拓使高等官四等の榎本武揚に従って茅沼炭鉱等を巡視
        9月:開拓使少判官
       10月:開拓使高等官四等の榎本武揚に従って浦河大理石山を巡視

榎本武揚が道内の巡視にでるときは、常に5名が付き従っていましたが、国道は常にその一員でした。国道以外は大鳥圭介(高等官5等)、荒井郁之助(高等官5等)、大賀賀久治など全員が旧幕臣でした。

国道の使命は、榎本等旧幕臣の監視役であったと言われます。国道の前職が「弾正台巡察」であったので、人の監視には適任であったと期待されたようです。
また、「弾正台」時代に北海道巡察を経験しており、土地勘も期待されたとも言われています。(参照:武藤三代平「小樽をめぐる榎本武揚とその人脈網」(2007年9月25日、早稲田大学リポジトリ発行)。

この2年間、榎本武揚に随従することによって親しくなりました。これが榎本・北垣の付き合いの最初でした。因みに、二人は同年齢であり、気が合ったと言われます。

―― 小樽発展につくした二人
小樽において「官営地が払い下げになる」との広告がでたとき、二人は借金して明治6年に10万坪の払下げを共同で受けました。そして「北辰社」を設立しました。

これが小樽発展の起点となり、この二人を称えるために小樽龍宮神宮の参道と交わる路が、「静屋通り」、並びに「梁川通り」と名付けられているそうです。「静屋」と「梁川」は、北垣国道と榎本武揚の雅号でした。
(参照:「小樽藪半・蕎麦屋親爺の独り言」2017年8月28日、ウエブダウンロード)
http://blog.livedoor.jp/sobaya_oyaji/archives/50614146.html。

次回(36回)はこの続きです。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

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投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月30日 06:04 |

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