生涯現役エンジニアブログ

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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(33)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、北垣国道の「第一生(倒幕の志士)」「第二生(京都復興)」「第三生(北海道防衛と国政参加)」の内、「第三生」をしゃべります。

―― 鳥取藩士
明治元(1868)年の年末、鳥取藩に凱旋し、鳥取藩士に登用されて「応接方(前回書いた「周旋方」は間違い)」という重職を与えられた事は前回書きました。この時、変名柴捨蔵を但馬の由緒ある姓、「北垣」にもどし、名を国道と名乗りました。即ち、北垣国道の誕生です。

―― 鳥取から雄飛
国道はこのまま鳥取藩に留まるかと思いきや、薩長新政府に出仕しました。それはそうでしょう、「生野の変」以来、薩長には大きな人脈ができているのですから、鳥取に安住する訳がありません。後でもう一度書きますが、人脈を「擦り切れる」まで使って国家のために奉仕する国道でした。

―― 薩長新政府
北垣国道が「火付け役」の一人となった「倒幕運動」を薩長は、武力クーデターに発展させ、政権を奪取しました。奪取した政権の権威を確保すべく、薩長新政府は(徳川政権と異なり)天皇制の権威を利用しました。
具体的には、平安朝に倣って太政官制度を採用しました。即ち、明治天皇の下に太政大臣三条実美、右大臣岩倉具視を頂点とする太政官制度でした。

―― 新政府への出仕
北垣国道が鳥取藩へ凱旋したのは明治元年(1868)年12月3日でした。戊辰戦争の論功行賞を完了した後、鳥取藩は、新政府に「鳥取藩軍」を差し出しました。
記録は残っていませんが、山国農兵隊12番隊長の国道はもちろん差出した鳥取藩軍名簿にリストアップされていたでしょう。藩士となった国道は、鳥取藩軍の士官クラスにリストアップされていたでしょう。

―― 国家志向の国道
しかし国道は、戦争が終わった世の軍隊には、もはや興味がありません。しかも代々の藩士ではなく成り上がりの藩士ですから。旧帝国陸軍でいうと、士官に最下位、せいぜい少尉でしょうか。
これでは鳥取藩兵に留まっていても面白くありません。ですから新政府の役所(中央官庁)を志願したと思います。そして配属先が、弾正台でした。

―― 弾正台
太政官制度の下で、平安時代の名称そのままの「弾正台」ができました。北垣国道は、この弾正台に明治2年1869年7月に配属となりました。下っ端ながら、中央官庁の役人です。
配属された直後は少巡察だったのが、8月には早くも大巡察に昇進します。そして10月には、官位従七位をもらいました。鳥取藩兵よりはるかにましでした。兵隊では官位はもらえなかったでしょうから。

以上を含め、今まとめている北垣国道の「第三生~北海道と国政」は、北国諒星著『北垣国道の生涯と龍馬の影』(2014年6月10日北海道企画センター発行)を参照し、これに田辺家の口伝と、以下の田邉康雄の既発表文献をまとめたものです。


既発表文献1:小和田哲男監修『徳川家臣団子孫たちの証言~第二章家康のもとで活躍した家臣たちp177~191~田邉康雄著「旧武田家臣 国宝を守った忠臣・田邉忠村の子孫」』(2015年4月16日、静岡新聞社発行)
既発表文献2:田邉康雄『わが一族の幕末と明治~大政奉還時六歳の当主(田邉朔郎)を中心にした』(平成26年11月20日柳営会発行柳営第27号p36~44)
既発表文献3:田邉康雄『びわこ疏水にまつわる、田邉朔郎一族の幕末・明治・大正・昭和・平成のはなし』(平成27年11月20日柳営会発行柳営第28号p21~38)
既発表文献4:田邉康雄『びわこ疏水にまつわる、ある一族(田邉朔郎一族のこと)のはなし』(1991年9月5日社団法人近畿化学協会編集部編集協力田邉康雄発行、国会図書館蔵)

次回(34回)はこの続きです。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

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投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月28日 07:56 |

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