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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(32)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、さらに語ります。

前回(31回)で、「次回(32回)は西園寺公望の指揮下で山陰道鎮撫、北陸道、会津戦争を経て、鳥取に凱旋するまでを紹介します。その紹介によって「第一生」を完了します」と。

―― 鳥羽伏見の戦いは、ご存知のとおり薩長軍の圧勝でした。それはそうでしょう。徳川慶喜軍は、戦争するつもりはなく、(朝廷が徳川将軍家領地を召し上げるという)朝廷の御意向を確かめるべく、京へ上っただけでしたから。そこへ卑劣な薩摩隊が戦闘隊形を整えた上で鉄砲・大砲を打ちかけたのですから。
薩摩隊を「卑劣」と断ずるような歴史観は、定説とは異なりますが、京都南禅寺塔頭金地院に設置してある(田邉朔郎の叔父、育ての親)田邉太一選になる「鳥羽伏見の戦いの死者追悼碑文(明治41年建立)」にそのように書いてあります。

さて、鳥羽伏見戦後の慶応4年2月下旬、山陰道鎮撫使総監西園寺公望は、徳川家親藩松江松平藩を取り調べるために鳥取藩兵とともに下向。まだ鳥取藩士でもない柴捨蔵(北垣国道)は、西園寺の参謀として随行しました。

―― 6月14日、仁和寺宮嘉彰親王(即ち、小松宮彰仁親王)が会津征討軍越後口総督。鳥取藩家老荒尾駿河が越後口軍監に命ぜられました。この時、柴捨蔵(北垣国道)は正式に鳥取軍に雇い入れられました(注:このことは、これまで誰か要人の「日雇い」だったことを意味します。即ち、非正規雇用者です。もちろん、まだ武士、鳥取藩士ではありません)。

―― これに先んじる6月5日、97名の徴兵農民隊(山国隊ともいう)が京に到着。12番隊と命名されました。農民の柴捨蔵(北垣国道)は、この隊の隊長に任命されました。なんと、非正規雇用者が、隊員約100名の12番隊の隊長です。この12番隊の動きは以下の通りです。

―― 6月19日、京出発。28日、敦賀着。
―― 7月13日、越中東岩瀬着。14日、船で直江津向け出帆するも、嵐に遭い、伏木に上陸して風待ち。17日、陸路に変更。20日、直江津着。筑前の汽船大鵬丸に乗り、翌日柏崎に到着。22日、新発田に向け、参謀黒田清隆と大鵬丸に乗る。途中荒天のため、22日、佐渡小木港に停泊。25日、松ヶ崎大夫浜上陸。26日、名目床新発田降伏(注:柴捨蔵(北垣国道)が調略に成功。新発田藩は後に「裏切者」と呼ばれた)。27日、阿賀川を渡り、本所着。信濃川を挟んで砲撃戦を開始。28日も継続。29日、新潟戦争。 信濃川を渡り、米沢大鵬丸に乗り、会津の陣を薩摩、長州、高鍋藩と一緒に新潟を落とす。この日の死者なし。
―― 8月1日、弥彦大野方面に進撃、三根山藩主降伏。6)日、新潟地区平定。8日、米沢攻略に向かう。10日、梨木峠の激戦。上坪穴に駐屯。戦死1名、負傷1名。12日、高須・榎峠戦争。戦死4名、負傷4名。沼・片貝村に駐屯。28日に至り、米沢藩主が降伏。
―― 9月3日、(薩長軍が江戸を東京と改称した)、4日、米沢入り。(22日、会津降伏)。
―― 10月13日、明治天皇が東京へ下向(注:薩長軍が畏れ多くも明治天皇を東京へ拉致し奉ったもの)。14日、東京へ凱旋し、西園寺公望旗下別動鳥取隊と合流。
―― 11月 錦旗を掲げた仁和寺宮嘉彰親王に従って東海道を凱旋上京の途へ。
―― 12月3日、柴捨蔵(北垣国道)は、鳥取へ凱旋。

以上の動きは、以下の文献を参考としました。
http://tottori.rojo.jp/mataemon/isin.html『尊王攘夷と鳥取藩の動き 概略』
( )内は、私田邉康雄の注釈・私見です。

―― 柴捨蔵(北垣国道)は、鳥取藩主から戦功を認めれて鳥取藩士にしてもらい、藩の重役「周旋方」になりました。念願の「武士」です。「めでたし、めでたし」。
私田邉の知る範囲でこの時期(幕末明治初期)に実力を評価されて農民から武士に昇格した人は、近藤勇、渋沢栄一、そして北垣国道の三名しか知りません。

―― 以上が北垣国道の「第一生」、「倒幕の志士」でした。第九代開化天皇の末裔と称する但馬の「誇り高き」旧家北垣家に代々伝わる徳川家康に対する「ルサンチマン(権力者に対する怨念)」を、北垣晋太郎(国道)が、250年振りに晴らしました。

次回(33回)は北垣国道の「第三生(北海道防衛と国政参加)」に入ります。「第二生(京都復興)」はすでに述べました。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月25日 06:50 |

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