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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(31)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、さらに語ります。

北垣国道の京都復興の話が長引きました。話戻って、国道の「第一生」のクライマックス、戊辰戦争への参戦からを紹介します。まず、「鳥羽伏見の戦い」です。

―― 鳥羽伏見の戦いに至るまでの足取り
すでに説明したところを整理します。元治元(1864)年8月、英米仏蘭四ヵ国艦隊によって砲台を占拠されて長州藩は降伏しました。この頃、国道(変名:八木良造)は到着しました。国道は再度名前を柴捨蔵と変え、前歴を言わずに一農民として長州奇兵隊に参加し、(第二次長州征伐)を迎え撃つために奇兵隊において訓練を受けました。

―― 鳥取へ帰る。
慶応2(1866)年、秋、徳川家茂死去により幕府軍は引き揚げ、長州は戦勝ムード。国道(柴捨蔵)は、「武士」への身分を期待しましたが、叶いませんでした。落胆した国道(柴捨蔵)は、鳥取藩を再度頼ることにしました。

―― 鳥取藩においても低い待遇
慶応3年(1867)春、鳥取を目指して長州を去りました。しかし鳥取藩においては、藩兵は武士で構成されていたので柴捨蔵(北垣国道)は、それには加えてもらえず、以前とおなじ密偵のような仕事しかもらえません。

―― チャンス到来、戊辰戦争勃発
慶応4(1868)年1月3日、鳥羽伏見の戦いにおける初日、柴捨蔵(北垣国道)は、御所の警護中の鳥取藩に従ってました。砲声を聞いた鳥取藩家老が御所に伺いを立てたところ、「鳥取藩は伏見街道へ行き、長州藩に協力せよ」と。

―― 長州軍旗下の国道
この命令をうけて翌日(4日)、鳥取藩は長州軍旗下に入りました。しかし、国道(柴捨蔵)の仕事は、鳥取藩兵の兵站担当のような立場に立った仕事だったようです。
この仕事においては、「計画性」や「交渉術」を要したことでしょう。これこそが、知力の並外れた国道の得意技だったでしょう。

―― 戦闘への参加チャンス!
この伏見鳥羽戦は、鳥取藩にとって最後の「武士だけの戦い」となりました。以後の戦いにおいては、足軽・農兵も参加させたので、農民国道(柴捨蔵)にも戦闘参加へのチャンスが回ってきます。とくに北垣晋太郎国道(柴捨蔵)は、生野の変における「農兵募集」の経験を積んでいました大いに役に立ったでしょう。
参照:http://tottori.rojo.jp/mataemon/isin.html『尊王攘夷と鳥取藩の動き 概略』 

―― 国道のひ孫の妻の曽祖父
ここで関連情報をご披露します。ひ孫とは私田邉康雄のことです。妻とは家内、智子(旧姓:大迫)です。その曽祖父とは、大迫尚敬のことです。
尚敬は、文久3(1863)年7月、薩英戦争に(東郷平八郎と共に)19歳で初陣に出ました鳥羽伏見戦に際しては、鳥羽街道において徳川慶喜の先鋒と開戦しました。

―― 不意打ちを仕掛けた薩摩
薩摩藩は卑劣にも、戦闘準備をせず2列縦隊で行進してきた慶喜軍を待ち構えて散兵し、戦闘体制を整えて発砲仕掛けました(注:私田邉康雄は幕府側ですので「卑劣」という表現になります)。
この時、24歳の大迫尚敬は、卑劣な薩摩軍の一員でした(参照:大迫尚敬著「大迫系譜(全)」(明治39年9月、綬子爵時宮内省爵位局提出)。
国道は、自分のひ孫が長州軍の同盟薩摩軍の一員のひ孫と結婚するなど、もちろん知りませんでした。

次回(32回)は、西園寺公望の指揮下で山陰道鎮撫、北陸道、会津戦争を経て、鳥取に凱旋するまでを紹介します。その紹介によって「第一生」を完了します。

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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

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投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月24日 08:18 |

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