生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、ひ孫田辺康雄が語る(29)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)に取り上げられた「1863年、生野の変」に関連して、その記事のためにインタビューを受けた田邉康雄が、さらに語ります。

前回、朔郎は、「せっかくの水の重力エネルギーを無駄に放出することになる」と、悩んだようだと書きました。
今から130年も前の明治中期に、それも大学をでたばかりの若造が、そんな大それた悩みをもつとは驚きです。しかも土木学科の卒業生が。
現在の土木学科卒業の新卒社員が、自分が担当させてもらった土木プロジェクトにおいて、プロジェクト完成後の、その土木構築物によるエネルギー効率について悩むでしょうか。私は寡聞にしてそのような例を知りません。

そして設計変更したと書きました。もちろん大きなバック、北垣国道があっての設計変更でした。

―― 京都市三大計画の成功
第一琵琶湖疏水は、田邉朔郎の「水力発電」への設計変更によって大成功を見ました。この大成功を、さらに確かなものとする計画が、前述した「京都市三大計画」でした。
そして工学者(エンジニア)としての朔朗の真価は、三大計画によって問われ、これを成功させました。この三大計画によって現在の京都市が支えられています。

「土木技術者が水力発電設計?」
と、訝しく思う方がおられるでしょう。しかし既に述べたように、化学工学者でもあった田邉朔郎でした。電気工学者(電気エンジニア)であって何の不思議もありません。

―― 世界最先端の「工学」を教えた工部大学校
朔郎が学んだ(帝国大学工学部の前身)工部大学校(英語名:Imperial College of Engineering, Tokei)においては、産業革命の発祥地、スコットランドのグラスゴー大学から赴任してきた、(ヘンリー・ダイアを教頭とする)いわゆる「お雇い教師」陣による世界最先端の工学を、幅広く教えていました。ですから、土木科の学生だからといって土木しか教えないということではなかったのです。
この項の参照:名古屋大学名誉教授教育学者加藤詔士『お雇い教師ヘンリー・ダイアを介した日本・スコットランド間の教育連鎖の研究』平成17年~19年度文部省科学研究費補助金(基礎研究C2)研究成果報告書

―― 岩倉遣米欧使節団
これは明治4(1871)年に横浜を出発した「不平等条約改正交渉使節団」のことです。薩長新政権は、「旧徳川幕府時代に欧米列強国と締結した『修好通商条約』が日本にとって不平等だ」と、考えました。

「徳川幕府は何をしていたのか? 弱腰だったではないか?」。
 と、前政権を批判しました。政権交代時にはよくあることで、この話は現在にも通じます。

「自分達が直接米欧に乗り込んで条約改正してみせる」。
これが、使節団に参加した新政府の首脳、薩摩派公家岩倉具視、長州伊藤博文、薩摩大久保利通、長州木戸孝允等の意気込みでした。

―― 使節団の思惑違い
一行が米国ワシントンに着いてみると、米国はけんもほろろ取りつく島もない。11年前の万延元(1860)年に徳川幕府が「日米修好通商条約」の批准のために米国に派遣した「万延元年遣米使節団」に対する大歓迎とは雲泥の差。
そこで勉強してみると、「最恵国待遇」というものがあって米国一か国との交渉はできても、役に立たないということが分かりました。
このことは、朔郎の叔父、旧徳川幕府の目付、田辺太一は、彼の著書『幕末外交談』(明治31年冨山房出版)の中で指摘しています。「特別に日本だけが差別されたのではなく、当時の国の実力から見て妥当な条約であった」と。

―― やっと悟った薩長首脳部
伊藤や大久保は、国家の実力というものがあって、「それがなければ条約改正などできるものではない」ということを理解しました。そして実力とは工業力、それを支えるエンジニアリング(工学)であることを悟りました。

―― (アヘン戦争の黒幕)ジャーディン・マセソン(JM)商会
伊藤博文等は帰路、英国に立ち寄り、「長州ファイブ」時代に渡英の斡旋をしてもらったJM商会のマセソンに会い、「工学を教えてほしいが?」と相談しました。
 マセソンは動いてくれました。彼の斡旋により、産業革命の発祥地、スコットランドのグラスゴー大学から新進気鋭の教授陣を招聘することに成功しました。
なお、この時、岩倉使節団の書記官長を務めていた、田邉朔郎の叔父、育ての親田邉太一が同行しました。参照:田邉朔郎著「石斎随筆~10東京虎ノ門櫓石」(昭和12年丸善発行)

―― 伊藤博文
 私田邉康雄は、伊藤博文を尊敬してはおりません。尊敬しない理由は、天皇制を過度に利用したことと、(その利用の延長線上にあると、私は思う)薩長軍に有利な欠陥を残した「大日本帝国憲法」の制定、そして極めつけは初代朝鮮統監府統監になり、朝鮮半島を日本に併合したことです。
博文の所業は、現在にまで大きな禍根を残しています。しかし、工部大学校に関しては朔郎田辺家の恩人であると思って感謝しています。
 
次回は、工部大学校と、その中における土木工学科の話をします。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月22日 06:12 |

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