生涯現役エンジニアブログ

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読売新聞「(明治)維新の記憶」連載特集、倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、曾孫田辺康雄が語る(23)

去る6月27日(平成29年)読売新聞大阪夕刊に「(明治)維新の記憶」連載特集(毎月一回)において「1863年、生野の変」が取り上げられました。副タイトルは、「鉱山町に眠る倒幕の志」でした。私は、御担当記者畑夏月様のインタビューを受けて、「生野の変」の首謀者曾祖父北垣晋太郎(国道)を語りました。「国家に捧げた一生」と。

―― 北垣国道は国家のために、一生で「三生」を生きた人でした。第一生が「討幕の志士」、第二生が「京都復興」、そして第三生は、「北海道開拓~国政」でした。一介の農民から、官位正二位男爵枢密顧問官にまで駆け上がった立志伝中の人物です。

―― ただし一介の農民ではありますが、元を糺せば、但馬国養父の誇り高き但馬の地侍の末裔です。始祖は、第九代開化天皇と称していました。尊王の志が高い、誇り高い江戸時代の農民でした。

―― 豊臣秀吉は、この誇り高き但馬の地侍を武士として扱いました。例えば朝鮮出兵の際は、独立した武士団として扱いました。しかし、秀吉に代わって政権を取った徳川家康は、但馬の地侍を農民扱いに格下げしました。家康の政敵、秀吉に協力した故でしょう。

―― 格下げされた但馬の地侍は江戸時代、代々徳川幕府天領(生野代官所支配)但馬の地主庄屋となってひっそりと暮らしました。
このような経緯を踏まえて徳川将軍家には、先祖代々怨恨持を持って暮らしていたそうです。フランス語のルサンチマンを代々心中に抱いて暮らしのです。参照:文部省主催維新史料編纂会第三回速記録明治45年3月11日、「但馬一挙の真相」、男爵北垣国道

―― 彼の波乱に満ちた人生は、豊臣秀吉に比べても見劣りしません。私は、こんな立志伝中の人物のDNAを「1/8」も継承していることを思うと、身の引き締まる覚えがします。

―― 今、北垣国道の第一生「討幕の志士」、時代のことを書いていますが、その志士時代に、国道がお世話になった三条実美、山縣有朋、伊藤博文、井上馨の扁額が琵琶湖疏水の幹線トンネルクラウンに掲げられていることを紹介し、話のついでに北垣国道が「体を張って」推進した京都復興、その柱である京都琵琶湖疏水の話をしています。そして琵琶湖疏水に関しては、祖父田邉朔郎の話は欠かせません。ですから、もう少し続けます。次回(第24回)で続けます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年08月10日 10:11 |

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