生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、曾孫田辺康雄が語る(22)

前回(21回)、田邉朔郎と片山東熊の交流に関して紹介すると書きました。北垣国道に引き会わされて義兄弟となった片山東熊と田邉朔朗は琵琶湖疏水プロジェクトの中で協力しました。

―― 朔郎と東熊
この二人は、義兄弟であるばかりでなく、工部大学校の後輩(朔郎)先輩(東熊)の関係にあります。そして二人は生涯協力関係にありました。

前回(21回)、田邉朔郎と片山東熊の交流に関して紹介すると書きました。北垣国道に引き会わされて義兄弟となった片山東熊と田邉朔朗は琵琶湖疏水プロジェクトの中で協力しました。

―― 朔郎と東熊
この二人は、義兄弟であるばかりでなく、工部大学校の後輩(朔郎)先輩(東熊)の関係にあります。そして二人は生涯協力関係にありました。
琵琶湖疏水の第三トトンネルの出口、トンネルクラウンに三条実美の揮毫があるトンネル出口、その前にある、美しいレンガ建物「九条山浄水場ポンプ室」の設計者は東熊です。このことは広く知られています。

―― 京都御所の防火
この建物は元来、京都御所へ防火用水を落す場所であり、そこを建物で囲ったものでした。落差で放水の高度を維持する計画でしたから建設当初、ポンプは無かった筈です。それが現在「ポンプ室」と名称がついています。なぜでしょうか。

―― 九条山浄水場
京都市内に上水道が普及し、蹴上浄水場だけでは供給量が不足して琵琶湖疏水面よりも高い位置にある九条山に別の浄水場ができました。その時に水をポンプアップする必要がありました。その時の「名残り」でしょう。

―― 施主は宮内省
発注者は当時の宮内省でした。これが完成した明治45年、片山東熊は宮内省内匠頭(今日の言葉を使うと宮廷建築物造営局長か?)でした。即ち、発注者側の責任者でした。

―― 第二期蹴上水力発電所建屋の設計者は誰か?
関西電力蹴上水力発電所の敷地内に、これも美しいレンガ建築物があります。この建物は、第二期蹴上水力発電所の発電機を収納する建屋でした。ところが、明治45年頃に建設されたこの美しい建物の設計者の名前が不明だそうです。

―― 設計者は片山東熊
と、思っています。これは私の推測です。以下、この推測の根拠を御披露しましょう。レンガ建物の正面入口上部に「亮天功」(天功をたすく)の扁額が掲げられています。これは、久邇宮邦彦王の揮毫です。

―― なぜ宮様の揮毫がここに?
以下は、私の大胆な推測です。
「田邉朔郎は、第二期蹴上水力発電所の発電機収納建屋の設計を、義兄片山東熊に打診し推薦した。宮内省内匠頭だった片山東熊は、久邇宮邦彦王に扁額揮毫を依頼した」と。

 ―― 推論を裏付ける状況証拠
1. 当時、長州片山東熊は、多忙な赤坂離宮(現国宝赤坂迎賓館)の設計施工が一段落していた。
2. 当時、長州片山東熊は、宮内省内匠頭であり、久邇宮邦彦王とは距離が近かった。
3. 朔郎は、明治33年に「京都市三大計画顧問」を引受けており、発電所建屋の設計を、義兄長州片山東熊を推薦できる立場にあった。
4. 発注者京都市の市長は、薩摩西郷隆盛の子、西郷菊次郎だった。
5. 久邇宮邦彦王妃は、薩摩藩主島津忠義の娘、俔子(ちかこ)であり、薩摩に近かった。
6. 薩摩に近い西郷菊次郎京都市長は、同じく薩摩に近い久邇宮邦彦王の扁額揮毫を受け入れた。
7. 長州片山東熊は、戊辰戦争の薩長軍旗頭、有栖川宮熾仁親王のお供をして欧州視察に行き、近い関係にあった。
8. 有栖川宮熾仁親王と、久邇宮邦彦王は陸軍士官学校の先輩後輩の関係にあった。
 
 以上が推測の根拠となる、「状況証拠」です。

―― 薩長が推進した京都復興
この調査を行った際、別の「思い」を抱きました。即ち、第一疏水のみならず、第二疏水も薩長が推進しということです。このことが、よく分りました。
薩長が京都復興プロジェクトを推進したのです。寧ろこれは当然でした。天皇陛下を1100年の玉座京都から、東京へ拉致奉り、京都を衰退させたのは薩長でしたから。

―― 明治維新の敗者、幕臣田邉朔郎の生き様
田邉朔郎は明治維新の敗者、徳川幕臣でした。敗者は、明治の世の中でかつての仇敵薩長の支配下で生活をすることになりました。
その時、どのように生きるか? 答えは、「政治には関係の無い技術の世界で生きる」でした。後年、京都帝国大学を停年退官する際に、「京都市長になってほしい」と京都市会から正式の使いが来ました。
朔郎は、これを断って「生涯現役エンジニア」の道を選びました。「鉄道エンジニア」でした。「鉄道建設コンサルタント」でした。そして「新幹線」への道を拓きました。

次回(23回)は、いま述べた「第一疏水」と「第二疏水」の意味を考察します。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月27日 15:02 |

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