生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、曾孫田辺康雄が語る(21)

前回(20回)北垣国道と山縣有朋や片山東熊の親しい交流について紹介すると書きました。以下に説明しましょう。
―― 北垣国道と山縣有朋の交流
琵琶湖疏水第一トンネル出口の扁額は有朋の揮毫です。因みに、琵琶湖側入口から京都蹴上の第三トンネル出口までの扁額を並べてみましょう。

第一トンネル入口:伊藤博文(長州)
第一トンネル出口:山縣有朋(長州)
第二トンネル入口:井上 馨(長州)
第二トンネル出口:西郷従道(薩摩)・・・琵琶湖疏水プロジェクトの賛成者
第三トンネル入口:松方正義(薩摩)・・・琵琶湖疏水プロジェクトの賛成者
第三トンネル出口:三条実美(長州派公家、八月十八日の政変~生野の変)

北垣国道が明治になっても、奇兵隊の私的人脈を大切にして生きていたことがよく分ります。そして薩長人脈を利用して仕事をしていたことも分ります。

―― 山縣有朋と片山東熊
山縣有朋は、兵部省時代に山城屋事件でピンチに陥りました。そのとき、片山東熊の実兄、湯浅則和が有朋をかばって辞任しました。有朋は、この恩義を忘れず、工部大学校生だった弟の東熊をその生涯に亘って引き立てました。

―― 北垣国道と片山東熊と田邉朔朗
北垣国道は、自分の娘、静子を田邉朔朗に娶せると同時に、山縣有朋の厚遇を受けていた、長州奇兵隊時代から知っていた片山東熊に朔朗の姉、鑑子(てるこ)を娶せました。琵琶湖疏水が完成した明治23年の12月頃でした。

―― 琵琶湖疏水と国宝迎賓館
片山東熊は、山縣有朋の「引き」などによって宮内省内匠寮に奉職し、後内匠頭となって赤坂離宮(国宝迎賓館)を設計施工しました。

―― 義兄弟による明治2大プロジェクト
明治期の土木と建築の代表作の設計者が義兄弟となりました。これは長州奇兵隊時代に知り合った山縣有朋、北垣国道の引き合わせでした。元を辿れば「高杉晋作」の縁でした。この縁が、明治の2大プロジェクトを成し遂げたとも言えます。明治2大プロジェクトは、高杉晋作の遺作とも言えます。

次回(22回)は田邉朔朗と片山東熊の交流に関して書きましょう。


投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月26日 07:38 |

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