生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、曾孫田辺康雄が語る(20)

前回(第19回)、北垣国道は長州において柴捨蔵と名を変えて奇兵隊に身を寄せたと書きました。その後の足取りを、口伝をベースにして妥当と思われる推測を加えてみましょう。

―― 元治元年
イギリス・アメリカ・フランス・オランダ四ヵ国艦隊が、長州砲台を占拠して長州は降伏したころ、つまり8月頃に長州へ到着したと思われます。
長州藩の「蛤御門」暴挙への懲罰として、孝明天皇から幕府に長州藩征伐(第一次長州征伐)勅命が下っている時期です。長州藩の奇兵隊としては「幕府のお尋ね者」北垣晋太郎(国道)を匿うことは得策ではありません。

―― 国道の奇兵隊潜入
北垣晋太郎は、八木良造と変名していることはすでに「バレ」ています。ですから、柴捨蔵と名前を変えて前歴を言わずに一農民として奇兵隊に参加しました。

―― 慶応元年(1865)
この時期には、幕府の長州再征伐(第二次長州征伐)を迎え撃つために奇兵隊において訓練を受けていたものとて思われます。この訓練が、戊辰戦争中の鳥取藩における活躍に繋がったと私は考えます。

―― 慶応2年(1866)
幕府第二次征長軍が長州に迫りましたが、秋、徳川家茂死去により幕府軍は休兵。即ち、引き揚げました。これにより、長州は戦勝ムードだったでしょう。

―― 念願の武士
このムードの中で農民柴捨蔵(北垣国道)は、もともとの動機であった「武士になる」を期待しました。しかし参加した農民の誰一人として武士にしてもらった者はいません。
それほど、江戸時代における、武士と農民の間の壁は高かったのでした。これに落胆した国道は、鳥取藩を再度頼ることを考えました。

―― 慶応3年(1867)春
その結果、幕府の第二次征長軍の解兵後、鳥取を目指して長州を去りました。しかし鳥取藩においては、藩兵は武士で構成されていたので柴捨蔵(北垣国道)は、それには加えてもらえず、以前とおなじ密偵のような仕事しかもらえません。

―― 奇兵隊における柴捨蔵(国道)
話もどって、もともと並外れた知力と体力に恵まれた柴捨蔵(国道)は、奇兵隊の中で「著しい」活躍したものと思われます。そのことは、明治になって元奇兵隊の山縣有朋や片山東熊と親しく交流したことからも窺えます。

この二人との交流に関しては、次回(第21回)に紹介します。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月25日 09:07 |

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