生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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木内昇『万波を翔る』の主人公 田辺太一を、子孫田辺康雄が語る(19)

頭書タイトルによる連載記事を続けます。昨日(7/20)の日経夕刊、木内昇作小説『万波を翔る』の連載(第124回)。前回(110回)投稿においては、万延元年遣米使節団に随行できなかった太一の悔しい場面でした。

そして今回は帰国した勝海舟と会う場面でした。悔しい思いをしながら勝の土産話を聞いています。
なお、勝海舟は使節団の団員ではなく、ワシントンへは行ってはいません。随伴艦の咸臨丸でサンフランシスコと日本を往復したに過ぎません。

―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
私は、田辺太一著、坂田精一訳『東洋文庫72、幕末外交談2』(昭和41年8月10日、平凡社発行)
巻末(322ページ)に掲載されている「幕末外交史略年表(自 嘉永6年、至 慶応三年)を参照しながら読んでいます。この年表は、訳者の坂田精一さんが御作りになったものです。

―― この年表によると、「遣米使節、万延元年九月二十七日(新暦11月9日)米艦ナイヤガラ号で帰朝」と記載されています。咸臨丸はこれより先に帰国しています。いつ頃でしょうか。

―― 私が見た別の文献(下記)によると、「万延元年5月5日(西暦1860年6月23日)、咸臨丸は、無事、浦賀港に入港した」と記載されています。
文献:「咸臨丸こぼればなし」
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/c_kanrinkobore.htm

ですから、昨日(第124回)の場面は、万延元年遣米使節がまだ帰国していない、万延元年の初夏だと思います。場面は千代田城内です。

 ―― 薩長側から見た幕末の歴史小説は数多くありますが、旧幕府側から見た幕末の歴史小説は数少ないです。この中に有って今、旧幕臣田辺太一を主人公とした、日経新聞夕刊に連載中の『万波を翔る』は、貴重な存在です。なぜなら、――。
戊辰戦争後は、戦勝藩薩長の歴史観を教えられ、暗い、遅れた徳川の世を薩長が糾したという「明治維新」論を教えられ。大東亜戦争後は、戦勝国アメリカの歴史観を教えられ、それぞれの史観が日本を、国益を損ずる方向動かしてきたからです。

 ―― もしもお読みなっておられるなら、前述した田辺太一著、坂田精一訳『東洋文庫72、幕末外交談2』の年表をご覧になりながら、この小説をお読みになることをお勧めします。
できれば本文をお読みになるのもよいでしょう。学校で習っていない、薩長に封印された幕末史を知ることができます。それが今後の日本の国益に沿った「あり方」を考える際の大きなヒントとなるでしょう。

第19回目は以上です。同じ内容を、有限会社田辺コンサルタント・グループホームページ、ツイッター、フェイスブック、ならびにメールマガジンによって発信しています。
また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月21日 08:00 |

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