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倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道を、曾孫田辺康雄が語る(19)

前回につづいて、長州テロリストに身を寄せた北垣晋太郎(国道)の話をつづけます。国道は、「生野の変」を首謀しましたが、「テロ」ではありません。

農兵を募って訓練し、京都の北辺、日本海側を、そして北海道をロシアから防衛する。それも朝廷のために。朝廷が支配する世を創るために。即ち、尊皇攘夷でした。そして尊皇の裏に倒幕(≠討幕)を潜ませ、幕府の許可(窓口は山岡鉄舟)を受けて進めていたものでした。繰り返しますが、「テロ」ではありません。
これも繰り返しますが、動機は「但馬の誇り高い地侍を、農民に格下げした徳川家康に対する先祖代々のルサンチマン(=弱者の強者に対する鬱結した怨恨「ニーチェ」)でした。このことは、明治末期になって国道自身が公式の席上で証言しています。

―― 長州逃避行
ところが、幕府の探索が厳しくなり、身を隠す場所が必要となりました。そこで、八木良造、実は北垣晋太郎(国道)は、名前を再々度柴捨蔵と変えて長州へ逃げ込みました。

「悪人が、悪人集団の中に身を隠す」
 蛤御門の変をやらかした長州は、幕府にとっては「悪人」でした。ですから、「悪人一人を逮捕するには、悪人全員を逮捕しなければならない」。「悪人全員が逮捕されるなら、あきらめよう」。これが国道の覚悟だったと私は想像します。

―― 逃避の時期
1864(元治1)年8月頃。即ち第二次馬関戦争の時期と思われます。前述した17隻の英米仏蘭四ヵ国艦隊による長州藩砲台の占拠と長州藩降伏の頃です。
並外れた体力と知力をもて余していた北垣国道にとって、戦争の環境は、さぞや、生き甲斐のある土地と映ったことでしょう。

―― 戊辰戦争に至るまで
以後、長州は戦争の連続でした。勅令による幕府の第一次征長戦争、そして第二次征長戦争でした。そして偽の勅令による戊辰戦争です。

国道が長州へ逃避して3年余後の1868年1月3日に長州軍の旗下、鳥取藩兵として伏見街道において幕府軍と交戦したことは分っています。しかしこの3年余間の行動がはっきりしません。ですから以下は想像です。

想像するために、当時の長州の様子を、田邉太一著『幕末外交談』を軸とし、それに他の情報を加えて整理しました。以下の通りです。

―― 元治元年(1864)~慶応三年(1867)
元治元年7月、孝明天皇から、長州藩征伐の勅命下る(「蛤御門」暴挙への懲罰)。
元治元年8月、17隻の英米仏蘭四ヵ国艦隊が、長州砲台を占拠して長州藩は降伏。
       (前年長州藩による攘夷決行砲撃への報復=第二次馬関戦争)
長州藩、四国連合艦隊司令長官キューパーと講和。
    9月、幕府は英米仏蘭四ヵ国と、賠償金300万両支払、または、下関開港を約定。
    11月、長州藩主服罪し、禁門の変の責任者に自刃を命ず。
慶応元年1月、幕府、長州藩主の服罪により、征長軍を解く。
    3月、幕府、英米仏蘭四ヵ国に対して賠償金第一回目を支払う。二回目は一年後。
    5月、徳川家茂、長州再征伐のため江戸を出発。

慶応2年2月、幕府第二次征長軍、長州に迫る。
7月、家茂大阪城にて他界
    9月、幕府第二次征長軍の休兵
    12月、孝明天皇崩御

慶応3年1月、幕府第二次征長軍の解兵
    8月、京都において薩摩藩が、長州藩と密議。討幕協力を持ち掛ける。
    9月、薩長芸三藩連合なる。
    10月、慶喜の大政奉還
    12月、薩摩藩主導による小御所会議「王政復古クーデター」
薩摩藩主導による睦仁親王(後、明治天皇)による王政復古宣言
    12月、薩摩藩主導(赤報隊)による江戸テロ活動
       幕府親藩庄内藩による薩摩江戸藩邸への報復襲撃      
慶応4年1月、京都鳥羽街道小枝橋における薩摩藩による幕府軍への不意打ち襲撃。
       (幕府軍は、非戦闘態勢で行軍中だった)
つづいて伏見街道における長州藩による非戦闘態勢で行軍中幕府軍への襲撃。
(以上の二襲撃は、いわゆる「鳥羽伏見の戦い」)

 以上が、当時の長州藩の動きでした。北垣国道は長州において奇兵隊に身をよせたことは分っているので、それを中心にして、次回で少し想像してみます。    
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このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月05日 10:03 |

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