生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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倒幕の志「生野の変」首謀者北垣国道、ひ孫の田辺康雄が語る(18)

前回、読売新聞大阪夕刊(H29/6/27)の、生野の変に関するすばらしい記事を紹介しました。生野の変から離脱した北垣晋太郎(国道)は、長州テロリストに身をよせました。このテロリスト集団は、後に官軍を偽称しました。私はこれを官賊と呼びます。北垣晋太郎は(国道)、ここに身をよせたものです。

―― 旧幕府歴史観
「琵琶湖疏水」と、「京都市三大計画」設計者田辺朔郎は幕臣です。戊辰戦争では官賊によって苦しい思いをしました。朔郎の育ての親、田辺太一は、戊辰戦争において官賊に徹底抗戦しました。
私田邉康雄は、祖父朔郎と、その叔父太一のDNAを、それぞれ1/4と1/32受け継いでいます。よって、幕末の長州テロリストに対して厳しい目をもっております。
そして、DNAを1/8頂いた「ひいじいさん」が、その長州テロリストに身をよせたことに対しては複雑な思いをしております。

―― 猪突猛進長州(旧陸軍)
長州は、収拾策を十分にもたないままに戊辰戦争を開始しました。そのDNAが、山縣有朋を媒体として旧帝国陸軍に遺伝し、収拾案を持たないままに大東亜戦争に突入しました。
このことは、その敗戦の後遺症を病む今日の日本の状態から見て極めて遺憾なことと私は思っております。

―― 深慮遠謀薩摩(旧海軍)
これに対して薩摩は、計画的に戊辰戦争を開始しました。そして成功しました。そのDNAが山本権兵衛を媒体として旧帝国海軍に遺伝し、大東亜戦争突入前に収拾策を考えていました。
ここまではよかったのですが、見得をはって、陸軍に引きずられたことは、極めて遺憾なことと思っております。

―― 私の父親田辺多聞
大東亜戦争中「朝鮮総督府局長」でした。戦後、マッカーサーGHQによって公職追放されまた。その父が言っていました。「戦争して負けるということがどういうことかを知らないで戦争に突入した」と。そして東条英機首相、ならびに旧陸軍に批判的でした。私は、父親の陸軍批判を聞いて育ちました。

―― 平和への願望
こう書いてきましたが、私は軍隊と戦争を否定する、「消極的(=受動的)平和主義者」ではありません。安倍晋三首相が「戦後70年談話」で表明された、「積極的(=能動的)平和主義者」です。英語訳は、「Proactive contribution to peace」と表現されました。 即ち、「平和は武力で勝ち取るしかない」と。800年間武家をやってきた田辺家の家訓でもあります。

今回は、長州テロリストの話に終始しました。次回(19回)では、長州テロリストに身をよせた北垣晋太郎(国道)の話をつづけます。

――――――――――――――――――――
第17回目は以上です。次回(第18回)は、長州潜伏時代から戊辰戦争に至るまでの北垣国道を紹介します。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年07月04日 08:35 |

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