生涯現役エンジニアブログ

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(9)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第9回)を続けます。前回(第8回)、次回以降晋太郎の討幕戦争における奮戦ぶりを紹介すると書きました。その前に、明治維新にいたる一連の国内戦争を紹介します。ここでは組織だった「乱」や「変」は、これを戦争と呼びます。

―― 大和の国、「天誅組の変」
これが明治維新に至る一連の戦争の「魁(さきがけ)」です。瓦解・破陣して歴史に名を残す「八月十八日の政変」に結びつきました。1863(文久3)年夏のことでした。

―― 但馬の国、「生野の変」
すでに説明したように、北垣晋太郎が討幕を目的として農兵を募集していることを知った西国の過激派諸藩の浪士等が相乗りしてきたものです。その中で冷静に時期尚早と見た北垣晋太郎は、制止に掛かりましたが、逸った浪士等は決行しました。北垣晋太郎は、再起を期して出奔(逃走)しました。

生野の変以降、一連の対徳川幕府内戦が始まりました。以下の通りですーー。
―― 筑波の水戸藩浪士等による「常野の乱」⇒京都の長州藩による暴挙「蛤御門の変」⇒幕府による「第一次長州征伐と敗戦」⇒幕府による「第二次長州征伐とその中断」。

―― ⇒京都における徳川慶喜の「大政奉還」⇒京都における薩摩藩と岩倉具視による「小御所会議」⇒江戸における薩摩藩による「赤報隊のテロ活動」⇒江戸における徳川幕府親藩庄内藩による報復「薩摩藩邸襲撃」⇒京都の鳥羽街道における薩摩藩による「徳川幕府軍への不意打ち」⇒それに呼応した伏見街道における長州藩による「徳川幕府軍への襲撃」⇒大阪城における英国支援による「徳川慶喜の逃走」⇒薩長の「東征」⇒徳川幕府親藩の彦根井伊藩と尾張徳川藩の「対幕府寝返り」⇒江戸における英国支援による「徳川慶喜の逃走」⇒薩長による「江戸占領」⇒薩長による「東北諸藩征伐」⇒薩長による「徳川脱走軍函館五稜郭征伐の勝利」⇒「内戦終結」。

―― この明治維新に至る一連の戦争に関する説明は、定説とは異なる表現・説明がついていることをお許しください。

第9回目は以上です。次回以降、晋太郎の「一連の戦争」における奮戦ぶりを紹介しましょう。

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このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月16日 08:00 |

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