生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(8)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第8回)を続けます。前回(第7回)、武士を目指して奮戦努力し、見事武士になったにも拘わらず、武士の要らない世になったと書きました。

―― この北垣国道の、「生野の変」から「京都市復興」に至った道は、正に「万波を翔る」でした。この「万波を翔る」は、直木賞受賞作家「木内昇」作、日経新聞夕刊に連載中の小説のタイトルです。

―― 私が見るところ、田邉太一よりも北垣晋太郎(国道)の方が遥かに波乱万丈、ダイナミックに、万波を翔けました。

―― 徳川幕府外交官田邉太一は知力で対薩長討幕軍徹底抗戦して万波を翔けました。これに対してテロリスト北垣晋太郎は、腕力で対徳川幕府打倒戦争に身を投じて万波を翔けました。

―― しかし明治維新において北垣晋太郎は決して例外ではありません。明治のいわゆる元勲達は例外なく、対徳川幕府打倒戦争に身を投じた人達でした。身を投じて勝者となりました。思いつくままに例を挙げると、伊藤博文、山縣有朋、井上馨、松方正義、三条実美などです。明治政府は、徳川軍事政権に代わる薩長軍事政権だったのです。

第8回目は以上です。次回以降、晋太郎の討幕戦争における奮戦ぶりを紹介しましょう。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月15日 08:04 |

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