生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(6)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第6回)を続けます。前回(第5回)、北垣国道の人生を、木内昇さんの小説「万波を翔る」をもじって「億波を翔る」と表現しました。

「生野の変」における北垣晋太郎の動機は何だったのでしょうか。これを知るべく、文部省維新史料編纂会『男爵北垣国道語る~但馬一挙の真相』(明治45年3月11日発行講演速記録)を紐解きました。

―― この内容を田辺家に伝わる口伝を加えて理解すると、以下のようになります。
「祖先代々積年の恨み、徳川幕府を倒して武家に復帰する」と。こんな単純な動機だったのです。そして、並みはずれた知力と体力がこの動機を具現化しました。

―― 神話の国但馬の旧家は、神代からつづく歴史を誇り、開化天皇の子孫を称して「元弘の変」、「承久の変」共に朝廷側(後醍醐天皇、後鳥羽上皇)に加担しました。尊皇の志が高い国旧家が多い土地でした。

―― 徳川家康に対する怨恨
秀吉は、但馬の「地侍」を認めました。しかし徳川家康はこれを認めず、農民に格下げしました。このことに対する恨みでした。フランス語でいう「ルサンチマン」です。この向かった先が、「徳川幕府」でした。現在世界の各地で頻発している「反政府テロリスト」と大差ありません。

第5回目は以上です。このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

次回(6回目)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月12日 07:06 |

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