生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

« 直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(17) | メイン | 読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(17) »

直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(18)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第17回)を続けます。昨日(6/29)の日経夕刊、木内昇
作『万波を翔る』の連載(第135回)でした。新外国奉行村垣範正に食い下がっていた太一を、先任外国奉行堀織部正が呼び止めました。別件の相談でした。

―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
前回、太一の外国奉行村垣範正に対する「覚悟の進言」を書きました。ここで、太一の精神的支柱、祖先を紹介します。身分が低くとも卑屈にならない支柱です。

―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
―― 太一の遠祖
平安時代の末期、熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)を統括する熊野別当第21代の藤原湛増です。湛増の遠祖は、藤原鎌足です。湛増は、今の和歌山県「田辺市」に住んでいたので、「田辺湛増」と呼ばれました。これが朔郎田辺家初代。

―― 甲斐武田家
湛増の子孫は、戦国時代に越前を経て武田信玄に仕え、金山衆となりました。勝頼自刃の際、最後まで従い鎧を預かりました。現在国宝。

―― 徳川家康公の恩義
勝頼遺臣895名とともに徳川家康公に拾われ、鳥居元忠公旗下に加えてもらいました。元忠公討死後、伊丹家に仕えました。

―― 徳川吉宗公の恩義
その伊丹家も断絶したので、主家を失いました。つまり浪人です。しかし吉宗公の時代に御家人、大番与力として徳川将軍家に仕えさせていただきました。低い身分ながら、幕臣です。

―― 学問で立身
低い御家人の身分ですから、学問しか生きる道はありません。励んだ結果、幕臣二代目の田邉貞齋が国学者として少しは世に知られ、「江戸名家墓所一覧」に記載されました。

―― 尾張藩儒学者
すでに儒学者として名を成していた尾張藩の「村瀬誨輔」が、田邉貞齋の養孫になってくれました。幕臣四代目田邉石庵です。昌平黌教授方出役を命ぜられました。石庵が、太一の父親です。

―― 学問吟味
既に述べたように、太一は幼い頃から石庵の教育を受けて18歳で昌平坂学問所、学問吟味の難関「甲科及第」を得ました。これが太一「立身」の出発点でした。しかし御家人の次男ですから、立身の道は険しいものでした。

―― 「一か、八か」の賭け
太一は、「泳いで立身」できるような身分ではありません。ですから、新任外国奉行村垣範正に対する「覚悟の進言」などで道を切り開いていたのでしょう。私の曾祖父北垣国道の「命を差し出した賭け」には及びませんが、相当な覚悟です。

第18回目は以上です。同じ内容を、有限会社田辺コンサルタント・グループホームページ、ツイッター、フェイスブック、ならびにメールマガジンによって発信しています。
また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月30日 07:38 |

« 前の記事 | 次の記事 »

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




youtue

京大OB・OGガイドブック

初回メール相談無料

エントリー検索

 

カテゴリー

アーカイブ

労働安全衛生マネジメントシステム

田辺コンサルタント著書の書籍紹介

商店街の街並み設計

田辺コンサルタント・グループ
代表取締役 田邉康雄
〒140-0014
東京都品川区大井6-20-6
TEL 03-3776-2495
FAX 03-5742-7695
お問合せフォーム

このブログを購読