生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(15)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第15回)を続けます。「曾祖父北垣国道は、名前を柴捨蔵と変えて、長州に行き長州藩遊撃隊に参加した」と書きました。動機は、「戦争で手柄を立てて家名復興したい。即ち、天朝の世に戻し、その下で武家に戻りたい」でした。冒頭に書いた国道のルサンチマン(=徳川家康に対する先祖代々の怨恨)でした。

―― 今「怨恨」と書きましたが、北垣国道の全ての行動は、「怨恨」をキーワードにして考えないと理解できません。前回書いた「勝海舟の嗣子勝精に弔文を出して一本取った」ことも、幕末時代の勝海舟に対する怨恨からきていると私は理解しています。

―― 山縣有朋
長州に下った国道は、ここで有朋と親しくなりました。このことが後に京都の琵琶湖疏水完成に繋がります。琵琶湖疏水の第一トンネル出口の扁額は、有朋の揮毫です。

―― 国宝迎賓館
山縣有朋の下にいた奇兵隊士の片山東熊(後の国宝赤坂迎賓館の設計者)とも知り合いになりました。京都の疏水工事が完成した後、片山を娘婿田邉朔郎の姉に娶せました。

―― 人脈の国道
北垣は人脈で生きていた人でした。幕末の動乱期に「死線を共に潜った戦友」を大切にしました。山縣も同じでした。

第15回目は以上です。次回(第16回)は、戊辰戦争に参加した戊辰戦争中の柴捨蔵を紹介します。鳥羽伏見の戦いにおいて長州軍の旗下、鳥取藩兵として参加しました。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月26日 07:02 |

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