生涯現役エンジニアブログ

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(13)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第13回)を続けます。北垣国道は、明治32年1月、勝海舟の訃報をきいて直ちに、海舟の嗣子勝精に弔文を送りました(北垣国道日記【塵海】p-518)。その中で次のように語っています。

―― 池田屋の変(元治元年7月6日)
京都において、会津藩と薩摩藩の威力が益々逞しくなり、八木良蔵(国道)同志の多くが殺され、あるいは捕縛された。

―― 勝海舟を訪問
徳川幕府の神戸海軍操練所を外されて大阪に仮住まいをしていた勝を「池田屋の変」の直後に訪問した。その時、訪問した八木良造(国道)はいう。「自分の同志、望月亀弥太等が多数殺された。日頃討幕を主張している海舟も立て」と。海舟答える。「時期をまて。死に急ぐな」と。

―― 国道の回想
「勝海舟は、日頃討幕を主張しているにも拘わらず、座したまま、立つ意思がなかった」と。さらに言う、「会談直後に長州藩による『禁門の変(=蛤御門の変)』(元治元年7月18日)が勃発した」と。付け加えて、「勝海舟は、禁門の変直後に幕府によって幽閉された」と。

「勝海舟は、口が達者ではあるが、口ほどにもない腰抜けだった」。
これが36年後の北垣国道の回想でした。これを海舟が死んだ後で、嗣子に弔文によって明らかにしたものでした。「死人に口なし」を狙いました。よほど、海舟に対しては、腹に据えかねていたのでしょう。

第13回目は以上です。次回(第14回)につづきます。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

次回(13回目)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月22日 07:24 |

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