生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(12)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第12回)を続けます。前回(第11回)、討幕の志士、八木良蔵(北垣国道)は、千葉重太郎とともに愚かな宍戸藩主の「使い走り」を引き受けて、蟄居を命じられている水戸徳川斉昭の子、一ツ橋慶喜、鳥取池田藩主、岡山池田藩主に内意をもらってきた。そして愚かな宍戸藩主はこれを、朝廷と幕府に上奏したが、朝廷も幕府も聞いてはくれなかった(以上北垣国道日記『塵海』p-518より)と書きました。

―― そりゃーそうでしょう。
将軍家茂が京都に行ったまま不在の幕府では、こんな内容では幕閣がOKできる訳がなく、一方、朝廷の孝明天皇は幕府にやさしいお方でしたから

―― 宍戸藩断絶
余談ですが、徳川将軍家の親藩でありながら、こんな、思慮に欠けた中途半端な、将軍家に楯突くようなことをやっていた藩主頼徳は切腹を命ぜられ宍戸藩はまもなく幕府によってお取りつぶしとなりました。

―― 田邉太一
この頃、太一は横浜鎖港談判使節団の組頭としてフランスに出張していました。そして談判に失敗して帰国後、閉門・蟄居を命ぜられました。太一は、横浜鎖港案の提唱者水戸徳川斉昭を恨みます。同じ年(元治元年)の初夏のことでした(田邉太一著坂田精一訳『幕末外交談』第2巻p-103より)。

―― 水戸斉昭に振り回される私田邉康雄の祖先二人
私の曾祖父討幕派北垣国道と、祖父の叔父佐幕派田邉太一は、水戸藩徳川斉昭にさんざん振り回されました。ですから私は、水戸徳川藩はあまり好きではありません。

「ご先祖様の敵は私の敵。ご先祖さまの味方は私の味方」。
これが偏狭な私の歴史観です。お許しください。


第12回目は以上です。次回(第12回)以降、晋太郎の「一連の戦争」における奮戦ぶりを紹介しましょう。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

次回(13回目)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月21日 07:05 |

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