生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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読売新聞大阪夕刊取材:明治維新の魁(さきがけ)「生野の変」、その首謀者、北垣晋太郎(国道)を、曾孫の田邉康雄が語る。ー(11)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第11回)を続けます。前回(第10回)、討幕の志士、晋太郎(北垣国道)は名前を八木良蔵と変えて鳥取池田藩の密偵になったと書きました。その後をつなげます。

―― 江戸千葉道場
八木良蔵(北垣国道)は、鳥取から江戸に出て、千葉重太郎が経営する北辰一刀流剣術道場に寄宿しました。重太郎が鳥取藩士であった縁でした。この道場で勝海舟、坂本龍馬と親交を結びました。1864(元治元)年春のことでした。生野の変の約半年後です。

―― 水戸藩尊皇攘夷派「天狗党の乱」
これは1864(元治元)年春に、水戸藩徳川斉昭の意を受けて筑波山で起こった「乱」でした。幕府の命を受けた、常陸国宍戸藩松平頼位・頼徳親子は、これを収めるべく、この「乱」に参加した志士の鉾を収めさせる案を立てました。

―― 宍戸藩の案
「会津藩/薩摩藩を京都から排斥し、長州の上京を許し、攘夷の実を上げよう」と(北垣国道日記『塵海』より)。これが案でした。北垣国道改め八木良蔵にとっては大いに賛成できる案でした。しかし、これはまるで大老井伊直弼から蟄居を命ぜられている水戸藩主の徳川斉昭の意向そのものです。幕府にとってはおかしな案でした。

―― 八木良蔵の使い走り
千葉重太郎と八木良蔵(国道)は、この「賛成できる」案をもって「走り使い」をしました。一ツ橋慶喜、鳥取池田藩主、岡山池田藩主に持っていったのでした。この三人は、いずれも蟄居を命じられている水戸徳川斉昭の子でした。だから訪問し易かったのでしょう。

そしてOKの内意をもらって宍戸藩主に復命しました。愚かな宍戸藩主はこれを、朝廷と幕府に上奏しました。しかし朝廷も幕府も聞いてはくれません(以上北垣国道日記『塵海』p-518より)。

第11回目は以上です。次回(第12回)以降、晋太郎の「一連の戦争」における奮戦ぶりを紹介しましょう。

このコンテンツは、私田邉康雄が有限会社田辺コンサルタントグループのホームページにブログに載せ、同時にSNSのツイッターとフェイスブックによって発信しているものです。さらに、名刺交換した方々等にメールマガジンで発信しております。

このコンテンツにおいては、自分の意見を述べる、いわゆる「べき論」は、これを避け、私が知っている歴史的事実を紹介しております。
事実とは言え、私見と身贔屓が入っていることはお許しください。「歴史認識はひとり一人異なる」。「異なってよい」。これが私の姿勢です。

次回(12回目)に続きます。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年06月20日 09:33 |

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