生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(13)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第13回)を続けます。昨日(4/1)の日経夕刊、木内昇作『万波を翔る』の連載(第59回)でした。「万延元年遣米使節団」に随行したい、と願う太一の姿が上手に描かれています。

上司外国奉行水野忠徳は、万延元年遣米使節団長として内示を受けており、すでに太一を随行メンバーに加えていました。これを聞いた太一は小躍りして喜びました。

ところが、―― まだそこまで書かれていませんが、―― 水野は降ろされたのです。横浜開港当初、ロシア士官惨殺事件の折、横浜に出張していながら事変の処理が行き届かなかったという理由で外国奉行兼神奈川奉行の職を免ぜられたました(参照:田邉太一著『幕末外交談(第17章<遣米使節>)』。上司が降ろされたので、太一の随行もお流れになりました。太一は落胆します。先をお楽しみに。

話が飛びますが、太一が義姉上様(あねうえさま)と呼んでいる人は、兄孫次郎の奥方でしょうか。名前が「ツヤ」となっています。孫次郎の奥方ならば、「ふき子」です。孫次郎は、私の曾祖父であり、「ふき子」は曾祖母に当たります。いすれ日経新聞社に訂正を求めたいと思います。

この連載をお読みになっておられる方々に、田辺太一と現在の京都市との繋がりを説明します。

―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ―――― ――――
田辺太一の甥、田辺太一が育てた田辺朔郎は第一琵琶湖疏水完成後、東京帝大教授を経由して京都帝大の教授を拝命しました。そして京都帝大時代に、京都市の嘱託、顧問を拝命して京都市三大計画の「計画指導」と「施工指導」をしました。

―― 計画は立派なものと御評価され、計画立案時西郷菊次郎京都市長から、そして計画完工時に川上親晴京都市長から感謝状を頂きました。

―― そして後年、京都府と京都市から「紀功碑」と「立像」を、蹴上発電所を見渡す高台に設置していただきました。
裏を返せば、それだけ「第一琵琶湖疏水」と、「第二琵琶湖疏水を含む京都市三大計画」は、京都市の発展に大きく寄与したのです。

―― このように京都市は田辺朔郎に対して、―― 仕事として報酬を支払ったにも拘わらず、 ―― 充分以上にその労をねぎらって下さいました。裏を返せば、現在の京都市の発展は、田辺朔郎の技術者(エンジニア)としての功績によるところが大である。そのことを京都市からお認めいただいたものです。

 ―― ですから、京都市に甥田辺朔郎を紹介した「育ての親」、叔父の田辺太一は、現在の京都市に対しても貢献させて頂いたということになります。

第13回目は以上です。同じ内容を、メールマガジンと、フェイスブックによっても発信しています。
また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年05月02日 09:49 |

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