生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(7)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第7回)を続けます。昨日(4/10)の日経夕刊、木内昇作『万波を翔る』の連載(第42回)は、安政5(1858)年に行われた日英修好通商条約交渉が終了した後の「横浜開港」の裏話でした。
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前回において、田辺太一が筆頭老中「阿部正弘」時代に、昌平黌教授儒者田辺石庵の子として生まれたことがハッピーであったと書きました。今回は、その理由を述べます。

―― 儒者田辺石庵の立場は、正確にいうと「徳川将軍家昌平坂学問所(昌平黌)教授方出役」でした。家禄をもらっている御家人「書院番与力」から昌平黌へ臨時教授として出向しているとでもいった立場でした。いわば、非常勤講師です。

―― 昌平黌は徳川将軍家の学問所ではありましたが、林羅山を始祖とする林家の私塾を起源としていましたから、林家筋の者でなければ、正式の「教授」にはなれません。また一般論ですが、徳川将軍家においては、生まれた家の家格によって出世の範囲が制限されました。

―― 昌平黌「学問吟味」は、先の大戦前まで存在した「高文行政科」試験を思い出していただくと理解が早まります。即ち、東京帝大で勉強し、政府が実施する「高文」に合格すると、政府機関への任官と、その後のスピード出世が約束されました。中央官庁や、朝鮮/台湾総督府の局長へ40歳台半ばまでに昇進することが約束されていました。

―― 田辺太一は、幼い頃から父親田辺石庵について勉強し、いわば、父親が講師をしている東京帝大に入学して勉強を重ね、「高文行政科」を受験したようなものです。その結果なんと、19歳で合格しました。因みに当時は、「40歳台で合格」が普通でした。これは父親のお陰であり、これがハッピーだった理由です。

―― 第7回目は以上です。同じ内容を、メールマガジンと、フェイスブックによっても発信しています。
また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年04月11日 10:02 |

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