生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(6)

頭書タイトルによる連載記事(第6回)を続けます。昨日(4/4)の日経夕刊、木内昇作『万波を翔る』の連載(第37回)は、安政5(1858)年に行われた日英修好通商条約交渉の場面が続きます。その場に同席許された田辺太一は、同じく外国奉行の岩瀬忠震の交渉前準備の周到さに感服。こんな場面でした。


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では、前回の続きを書きますーー。

田辺太一が、昌平黌教授儒者田辺石庵の子として生まれたことは、ハッピーでした。

―― 昌平黌の源流は、1630年台に設立された林家(徳川将軍家儒官の家)の私塾でした。西暦1700年台の末に「卒業試験」が始まりました。といっても毎年ではなく、3~4年に一度です。これが、「学問吟味」でした。

―― 1840年台の初め、老中水野忠邦による「天保の改革」は失敗に終わりました。浅間山の大噴火という不幸な追い打ちがあったとはいえ、1800年台初めの「露寇事件」を初めとして、日本の周辺が騒がしくなっていた時期に内向き(徳川将軍家存続の為だけの)政治を行っていたから失敗したと私は考えています。

―― 1840年台の半ば、水野に代わって阿部正弘が筆頭老中に就任しました。清国では第一次アヘン戦争が終わった頃でしたから、外国関係の事務が多忙になってきました。で、これをこなせる人材の育成が急がれました。

―― このニーズを正しくキャッチした阿部正弘は、昌平黌「学問吟味」を、幕府「外交事務人材」の登竜門として活用することを考えました。

―― 一方田辺太一は、1831年に生まれました。この時期に、昌平黌教授儒者田辺石庵の子として生まれたことは、実にハッピーでした。その理由は、次回にゆずります。

―― 第6回目は以上です。同じ内容を、メールマガジンと、フェイスブックによっても発信しています。

また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年04月05日 09:48 |

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