生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(5)

頭書タイトルによる連載記事を続けます。昨日(4/3)の日経夕刊、木内昇作『万波を翔る』の連載(第34回)は、安政5(1858)年に行われた日英修好通商条約交渉の場面です。外国奉行水野忠徳に従ってその場に同席許された田辺太一は、同じく外国奉行の岩瀬忠震の存在を知った。こんな場面でした。

因みに、水野忠徳、岩瀬忠震の三人は高名な、かつ、薩長官賊軍に謂れもなく斬首された小栗上野介忠順と共に、後の世になって「幕末の三傑」とか「幕臣の三傑」とか言われました。しかしこの呼び方には異論もあるようです。「他にも居るではないか。四傑だ・・・、いや五傑だ・・・」と。そこで私は「幕末幕臣の三忠」と呼びます。幕末の幕府に忠義をつくした「忠順」「忠震」「忠徳」です。なお、忠の字は、田辺家が甲斐武田家臣時代から代々使用していた諱(いみな)の一字なので私には親しみがあり、小栗、岩瀬、水野の三人が「忠」であることを嬉しく思ってきました。

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では、田辺太一の紹介をつづけますーー。

田邉太一が生まれた家は、書院番与力という御家人の家です。書院番士は旗本ですが、書院番与力は御家人です。与力は「一代限り」と「世襲」と両ケースが、ケースバイケースであるようですが、田辺家の場合は代々「家督相続」が許されました。即ち世襲の与力でした。

 ―― 田辺家には、尾張藩の儒者、村瀬海輔が養子にきてくれました。そして田辺家の代々の「次郎」を引き継いで「新次郎」と名乗り、号を石庵としました。この石庵が田辺太一の父親です。そして兄孫次郎の父親です。孫次郎は私の曾祖父ですから、石庵は私の高祖父に当たります。

―― 田辺太一は、次男であるにも拘わらず「太一」と名前をつけてもらいました。なぜなら、前述のとおり田辺家の長男は代々「次郎」だったからです。

―― 田辺石庵は、書院番与力のまま「小普請組」入りして、徳川将軍家昌平坂学問所(昌平黌)へ「教授方出役」を拝命しました。

―― 第4回目は以上です。同じ内容を、田辺コンサルタント・グループホームページ、メールマガジン、フェイスブックによって発信しています。
日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年04月04日 09:12 |

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