生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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直木賞作家、木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波を翔る』の主人公、雅号蓮舟 田辺太一(10)

頭書タイトルによる連載記事(今回は第10回)を続けます。昨日(4/20)の日経夕刊、木内昇作『万波を翔る』の連載(第51回)でした。この連載をお読みになっておられる方々に、田辺太一と現在の京都市との繋がりを説明します。
場面はただ今のところ、日米修好通商条約の締結が終わって、英国をはじめとする欧州列強との同様条約の交渉をしている時期、横浜開港の準備段階における舞台裏の話です。太一の上司、外国奉行水野忠徳が金銀の交換比率など、通商に関する懸念を太一に漏らしている場面です。1858年(安政5)年の秋頃だと思います。1831年生まれの太一は27歳。安政の大獄の直前です。

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現在、歴史と先端科学技術が共存する京都市は、約130年以前(明治23年)に開通した琵琶湖~京都間の導水路(琵琶湖疏水)によって支えられています。もしもこれが無かったならば、今の京都は、奈良と同じような大阪の衛星都市のひとつに留まっていたでしょう。

―― 現在の奈良のように歴史都市ではあったでしょうが、先端科学技術都市ではありえません。なぜなら、第二の帝国大学(現京都大学)は大阪に立地し、かつ、島津製作所などの先端技術工場は大阪に立地していたからです。大阪は、上流に琵琶湖があるので水は豊富で渇水はありませんから。

―― この水の一部を、宇治川を経ずして京都に迂回させて利用することは、平清盛以来の夢でした。京都は明治の初期、東京遷都によって大きく衰退しました。この迂回水路によってピンチを、チャンスに変えた男がいました。長州奇兵隊にもいた討幕の志士、北垣国道京都府知事です。水路は現在「琵琶湖疏水」と呼ばれています。

この北垣国道の「疏水」プロジェクトに、建設エンジニア田辺朔郎を紹介したのが、田辺太一の対薩長徹底抗戦「四人組」でした。即ち、函館五稜郭戦争のリーダーであった榎本武揚(総裁)、大鳥圭介(陸軍奉行)、荒井郁之助(海軍奉行)と、それを横浜にあって外交面で支えた田辺太一でした。

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こんな田辺太一の京都市に対する隠れた貢献を御理解の上で、木内昇氏の日経新聞夕刊小説「万波を翔る」を読んでいただくとより多く楽しんでいただけると思います。

第10回目は以上です。同じ内容を、メールマガジンと、フェイスブックによっても発信しています。
また、日経ホームページによる、小説『万波を翔る』の紹介を御参照ください。
http://www.nikkei.com/topic/20170213.html

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年04月21日 11:02 |

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