生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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<直木賞作家木内昇氏による「日経新聞夕刊小説『万波に翔る』>(2)

日本経済新聞夕刊が頭書タイトルの小説を、去る2月20から連載開始しました。
日経新聞のホームページ http://www.nikkei.com/topic/20170213.html
は、次のように言っています。

「『万波を翔る』は幕末から明治にかけて活躍した実在の幕臣・外務官僚の田辺太一が主人公の物語です。諸外国が次々と開国を迫るなか、外交という初めての経験に日本人はどう向きあったのか。江戸っ子の快男児太一の視点で、激動の時代を軽快に描きます」と。

―― 朔郎の「育ての親」太一
朔朗は、第一第二琵琶湖疏水を中心とする「日本初の『大規模多目的地域総合開発計画』(本間尚雄『琵琶湖疏水ならびに蹴上発電所の技術について』1978年9月10日発行電力中央研究所報告№578001)」の計画策定をもって京都市の発展に貢献させていただきました。
後年、京都市長から二度も感謝状をいただき、その上に、京都府は朔郎の「紀功碑(顕彰碑)」を、そして京都市は朔郎の「立像」を、琵琶湖疏水インクライン(国指定史跡)の上部終点に立ててくれました。この朔郎を1歳から成人まで育てた人は、叔父の田邉太一でした。

―― 現在の京都繁栄
大河が無いにも拘わらず、水が豊富であるが故に山紫水明。歴史的町並みに溶け込んだ世界遺産となった和食文化。17件もの世界遺産を中心とする古い神社仏閣群。これに理系ノーベル賞受賞者を続出する大学と世界的ハイテク企業群。
現在の京都市は、歴史と先端科学技術が共存する世界でもユニークな大都市。そのユニークさ故に、米国大手旅行雑誌「Travel-Leisure」によると、京都市は現在、世界の中で訪問したい大都市の一位となって繁栄しています。

―― 太一の京都貢献
因果関係を辿ると、太一がいなければ、現在の京都市の、前項のような繁栄は無かったとも言えます。太一は、薩長新政府に徹底抗戦し、北海道函館五稜郭に立籠った、榎本武揚(総裁)、大鳥圭介(陸軍奉行)、荒井郁之助(海軍奉行)の同志です。
私は彼らを、徳川幕府の薩長徹底抗戦「四人組」と呼びます。太一は五稜郭政府の外交を、横浜において担当していました。この徳川「四人組」が一致団結して朔郎を薩長新政府の高官、京都府知事兼市長北垣国道に「押し込み」ました。

―― 北垣国道の評価
国道は、長州奇兵隊の生残りでした。戊辰戦争にも鳥羽伏見の戦いから参加しました(北国諒星「(小説)北垣国道の生涯と龍馬の影」)。
旧徳川陣営から朔郎を押し込まれた国道は、最初半信半疑だったようですが、「朔郎は意外にもやるではないか」と、目を細めて見ていたようです。話は飛びますが、7年後に完成した際、御褒美として長女静子を朔郎の嫁にやりました。
ですから、徳川幕府の仇敵長州奇兵隊国道は私の曾祖父になってしまいました。薩長に滅ぼされた徳川将軍家の家臣の子孫に薩長の血が入ったのです。わが家においては、歴史的「和解ができた」と、私は喜んでおります。

―― 太一の祭祀継承
朔郎は、恩人太一の死後、東京青山墓地の田辺家墓地に納骨し祭祀を継承しました。そして朔郎が死んだ後は、朔郎自身もそこに入り、今二人で仲良く眠っています。そして私ども朔郎の子孫が、朔朗とともに阿弥陀仏様の身許にいる太一を、感謝をこめて守っております。

―― 日経新聞を購読されておられる方は、どうぞご覧ください。私は毎日、日経新聞夕刊を楽しみにしています。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2017年03月28日 21:11 |

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