生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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大東亜戦争 敗戦の日  平成28(皇紀2676、西暦2016)年8月15日

 71年前、昭和20年のこの日、私は小学校3年生の夏休みでした。長野県上伊那郡南箕輪村南殿の母方祖父有賀光豊の実家にいました。朝鮮半島の釜山にいたのですが、京都の祖父祖母が相次いで亡くなったので、急遽、父を残して母と兄弟3人が5月に内地へ帰りました。

 ―― 「広島に新型爆弾投下」
 と、8月6日の新聞一面記事を見て母は即断しました。「京都も危ない。疎開しよう」と。それで8日に出発しました。光豊実家に着いた9日に長崎原爆を知りました。そして15日の敗戦です。
母は泣いていました。小学校3年生の私は、何のことかよく分らず、母が無くのを見ていました。しかし天皇陛下の重々しいお言葉は今なお耳の奥に残っています。

 ―― 昭和天皇に救われた日本。
 国体維持を掲げ、「一億層玉砕」を叫び、大本営を長野県の松代に移して「徹底抗戦」の構えを見せていた、旧帝国陸軍から日本は救われました。国民が居なくなってどうして国体維持なのでしょうか。玉音放送における昭和天皇の、「国がなくなってしまう」との御思いが胸に痛く伝わってきます。

 ―― 戦争におけるリスクマネジメント
 昨年、徳川家康公没400年を記念して静岡新聞社が「徳川家臣団子孫たちの証言」をいう本を出版しました。私は依頼されて、第二章「家康のもとで活躍した家臣たち」の中で、「旧武田家臣 国宝を守った忠臣・田邉忠村の子孫~関ケ原の合戦のリスクマネジメント」を執筆しました。

 ―― 文末の結論を紹介します。
 家康公は、秀忠公軍がくるまでに戦い始めています。これを無謀という方もいます。しかし、それこそがあの状況で負けるリスクを避けるための最良の選択でした。なぜなら、たとえ自らが負けたとしても主力の秀忠軍が温存されているからです。最悪でも関東にもどって江戸を守れば、それで徳川家は消滅しないのです。
 家康公にとって一番困ること、即ち、「負けるリスク」が最も高まるのが、豊臣秀頼の出陣でした。そうなると今自分の配下についている福島正則など豊臣恩顧の武将が離反するからです。そういう状況を判断した上であの時点で開戦を決意した。素晴らしい判断でした。

 ―― 大東亜戦争開戦時に徳川家康公が日本のリーダーとして采配を振るっておられたら、日本軍は 負けるリスクを回避できたと思います。勝たなくてもよいのです。負けなければよいのです。すなわち、「引き分け」にもって行く知恵です。引き分けによって大東亜戦争の目的は達成された筈です。以上が「証言」の結論です。さらにーー。

「戦争は今後も必ずある」。
「いざとなったら、立ち上がらなければならない」。
「立ち上がる準備はしておかなければならない」。そして、――。
「立ち上がる際は、勝たなくてもよい。最低『引き分け』に持ち込む」。

 これが鎌倉時代の源頼朝公以来800年、戦争の中を生き抜いてきた「武家」田邉家にうまれた者の「家存続」の知恵です。

 徳川家康公は人生訓に曰く、「勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば、害そのみに至る」と。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2016年08月15日 09:14 |

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