生涯現役エンジニアブログ

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平成27(皇紀2675、西暦2015)年5月3日 今日は「憲法記念日」

玄関先に掲揚した日章旗です。他の祝日と違って「日の丸」は元気がありません。勢いよく「へんぽん」と、たなびく姿が感じられません。

―― 発布された昭和22(1947)年5月3日の時点では、私は小学校5年生であり、京都市立第一錦林小学校に通っていました。49歳だった父親、田邉多聞は何やら「ぶつぶつ」と口の中で呟いていました。恐らく不満のつぶやきだったのでしょう。

―― すでに平成25(2013)年10月から翌年の9月に掛けての一年間に、このFBに約80回の連載によって紹介したとおり、父は大東亜戦争敗戦時に朝鮮総督府鐡道本局(鮮鉄)の「釜山管理局長(47歳で高等官二等勅任官の局長を拝命しました)」を務めて居ました。

―― 日本敗戦後、ホッジ中将率いる米第24軍団が、(日本が日本の一部として【即ち、植民地ではなく】日本と同じ法律を朝鮮半島人にも適用して統治していた)朝鮮半島の38度線以南に進駐してきました。父はこの米軍の指揮下で在南朝鮮内地人約50万人を内地へ、また、在内地朝鮮半島人約80万人を南朝鮮へ交換輸送する大プロジェクトを任され、敗戦後4ヶ月半でそれを達成しました。

―― 米軍は大いに評価してくれ、釜山の鉄道官舎にあった一切の家財道具を京都の実家までトラック二台で運んでくれたことは既に延べました。このように米軍とはよい関係にあった父ですが、憲法のことは肚に据えかねるものがあったのでしょう。それ以来私も「新憲法は米軍押付け憲法」であるとの理解で今日まで来ています。

―― 米軍は日本軍が怖かったのでしょう。なぜなら、100%国産兵器をもって世界最強と自他共に許す米軍と3年8ヶ月も独力で戦ったのですから。戰爭の原因となった石油についても、石炭と甜菜糖から合成したハイオクガソリンでゼロ戦を飛ばしました。原子爆弾も原理は分かっており、開発する工業力だけの問題でした。
「日本軍が二度と米軍に対して牙を剝かないよう、牙を抜いてしまおう」。これが米軍の意向であり、「それを具現化した新憲法だ」という父の遺志を、私は引き継いでおります。

―― ですから「日の丸」の旗が元気ないことは良く理解できます。早く自主憲法を制定して「日の丸」にも喜んでほしいものです。


投稿者: 田邉康雄 日時: 2015年05月03日 11:12 |

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