生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(82)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
12月27日(つづき4)
次に終戦直後米軍当局は在留日本人で三十八度線以南に在るもの約四十万人を急遽引揚げさせることとしたが、これは朝鮮人の強い要求によったものと言われているが、その引揚輸送は計画的には九月二十六日から十一月末日まで約二か月間に毎日略三個列車を以て引揚邦人三十一万人、外に引上げ軍人十万人、引揚朝鮮人五十八万人という大輸送であった。ことこの大輸送が終戦後の輸送力の著しい低下の悪条件の中に行われたことは高く評価すべきであろう。殊に日本人現場従業員が早期に帰国してしまって殆どの列車は朝鮮人のみによって運転せられた事実を思うならば、我々引揚邦人はこの交通局朝鮮人従業員のあの悪条件下における活動を感謝すべきである。中には引揚列車運転中は金品を引揚者に強要するというような悪質な乗務員も無いではなかったようであるが、あの混乱期の中であるからやむを得ないと見るべきであろう。
 最後に終戦の犠牲となった不幸な多くの僚友の霊を弔い心からその冥福を祈るとともに、異常なる終戦の世相の中に協力を戴いた多くの僚友に感謝しそのご御健康を祈る。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

 米軍による在南朝鮮日本人約40万人の内地(日本)への「急遽引揚げ」は、「朝鮮人の強い要望によったもの」と父は言っています。
 このように、(力の強い)米国に泣きついて日本を動かそうとする体質は、現在の米国に「慰安婦」像を立てて米国人の日本に対する圧力を引き出そうとする体質につながっていると私は感じています。

 ―― 40万人の内、軍人10万人が含まれていますから、民間人31万人です。この民間人が、1945(昭和20)年9月26日から11月30日の間に日本に帰国したのです。
一方、その間に日本から南朝鮮へ引揚げた朝鮮半島人は58万人と父は言っています。なんと、帰国日本人よりも、帰国朝鮮半島人の方が2倍も多かったのです。この事実をどのようにお考えになりますか? 戦時徴用朝鮮半島人は自由に半島に帰れたのです。

―― 戰爭中において強制的に日本に連れてこられて強制労働をさせられて故郷に帰ることのできなかった半島人の子孫が、在日韓国人だという説を、いわゆる「在日」の人達が主張されていますが、敗戦後3ヶ月にして58万人も半島に帰った事実を何と説明されるのでしょうか?

結論を言います――。
いわゆる「在日」の方々は、日韓併合直後から、苦しい半島の生活を逃れて新天地日本に来られた方々の御子孫です。
私は、祖父有賀光豊(朝鮮総督府財務部長から朝鮮殖産銀行頭取)と、父田邉多聞(朝鮮総督府交通本局釜山地方局長)の朝鮮半島における「朝鮮半島人のために」働いた事実を、朝鮮半島に生まれて小学校三年生まで見聞きしました。
母、田邉美佐子も明治41年の日韓併合以前の朝鮮半島で生まれ、半島で祖父有賀光豊の事績を見ながら育ちました。

―― 余談ですが、朝鮮半島のために働いた有賀光豊は戦後、公職追放、農地解放(不在地主)、財産税・相続税、邸宅の進駐軍による接収(将校宿舎)、という四重苦の中で癌を発症して昭和24年に亡くなりました。親族以外は誰も「労をねぎらう」人は居ませんでした。

幸い、有賀光豊の部下の方達が「有賀さんの事績を思い出」という本を出版してくださいました。私はこの本を、本がぼろぼろになるまで読みました。そして日韓併合の初期から終戦までの歴史を「諳んずる」までに知ることができました。この「諳んじた歴史」の中から現在問題となっている「強制連行による慰安婦」とか「性の奴隷」というイメージは、全く頭の中に浮かんでこないのです。

―― 今心配していること。それは、日韓併合以後の歴史を子供達が学校で教わっていないことです。韓国・北朝鮮から日本非難を受けたら、子供たちが反論する材料をもっていないことです。
そのことを私は娘から知りました。娘曰く「韓国の人が、口角泡を飛ばして日本の「朝鮮半島植民地化」を非難した。不愉快で『おかしい』と思ったが、反論材料がない」と。

娘は今一緒に住んでいますから、折につけ日本統治時代の情報を提供しています。しかし離れて暮らしている長男と次男には伝わりません。そこで父多聞の日記を紹介し、それに解説を加えることによって情報提供することを考えました。

提供手段は、有限会社田辺コンサルタント・グループのホームページ・ブログです。このホームページは、私が仏様の下に行った後も残るはずですから、父の考えを知りたいと思ったときに開いてくれるでしょう。同時にツイッターとフェイスブックにも投稿しました。
ツイッターとフェイスブックへの投稿は、子供達だけでなく国を「侮辱」されて不愉快に思う(少しでも多くの)方々に、反論材料を提供したいと思ったから実施したものです。

 ―― この日記を終わるに当たって父は、南鮮の人達に「感謝の念」を投げかけました。以下の通りです。
「日本人従業員は、早期に帰国したので、殆どの列車は朝鮮人のみによって運転せられた。我々引揚邦人はこの交通局朝鮮人従業員の活動を感謝すべき」と。

 くどいようですがもうお分かりでしょう。日本敗戦直後の南朝鮮において、「日本人」と「朝鮮半島人」は友好関係にあったのです。もちろん、これは米軍が朝鮮半島人を抑えていたお蔭ですが、「韓国は日本に独立戰爭を仕掛けて勝利した」という説は、まったくの虚言であることを知っていただきたいと思います。

 今回が最終回ですが、タイトル「マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた」をもう一度噛みしめることをお願いして、私による父の日記紹介文を擱筆します。

―― 昨年(2014年)10月22日に第一回を私の会社「田辺コンサルタント・グループ」のホームページhttp://www.tanabe-consul.jp/のブログに投稿すると同時に、FB並びにツイッターにも投稿してきました。

FBにおいては、毎回二、三人の方がシェアしていただきました。また平均約40名の方々がら「いいね」を頂いてきました。感謝申し上げます。

―― 本日(2014年10月21日)最終稿82回目投入まで「丁度」一年かかりました。多忙な仕事の合間に投稿をつづけるよう私を駆り立てたものは何だったでしょうか。重要だけら繰り返しますが、それは「慰安婦」等、謂れのない口実を設けて日本を攻撃する勢力があることです。
そして何よりも、その勢力に対して反論する材料をもっておられない同胞が多いことです。前述のとおり、私の子供達でさえ反論材料をもっていませんから。

私は、「慰安婦」問題に関して「直接的」反論材料は、これを持ち合せていませんが日本統治時代の雰囲気を父の日記を通して知っていただくことにより、「情況証拠」として間接的ではありますが「反論材料」にしていただきたいと願うものです。

―― 最終回の投稿が「くどく」なってしまいました。
くどい中でもう一つ。この投稿中に朝日新聞が「誤報」を認め、それを受けて安倍首相も動きだされました。「良いタイミングで投稿してくれた」と草場の蔭の父の声が聞こえるようです。父への供養にもなりました。

子供達よ――。
康一郎、光二郎、寛子よ。
日本に「誇り」を持って生きる君たちの父親(康雄)、祖父(多聞)、曽祖父(朔郎)、高祖父(孫次郎)、高々祖父(石庵)・・・を手本にして誇りをもって、他人に迷惑を掛けず、社会貢献(不問大小)しながら立派に生きぬいてくれ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― この(82)回をもって完了です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年10月21日 10:14 |

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