生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(77)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

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 12月27日(つづき)
 朝六時半事務長が出帆を知らせてくれる。起きて船橋に上る。再び何日の日にこの港をみることが出来るであろうか。名残を惜しもうとしてこの船橋に立ったのであったが、夜はまだ明けやらず、第一埠頭から第二、中央、第三、第四埠頭と二年このかた幾多の苦難の思い出の現場には点々と淋しく灯が見えるのみ。水晶町あたりの官舎のあたりは未だ闇の中に沈んでいる。思えば朝鮮生活二十年、敗戦のため不幸にも引揚げなければならないこととなったが併し任務は完全に果たし得たという満足感に浸り乍ら明朗な気持ちで今、自分はこの地を去って行くことが出来る。敗戦という悲惨事の中在って恵まれたと言えよう。
 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

「第一埠頭から第二、中央、第三、第四埠頭と二年このかた幾多の苦難」
 と、父は言います。

 私達家族が住んでいた水晶町の官舎から、釜山港は手にとるように見えました。そして埠頭工事を進めていることもよく見えました。

 ―― おそらく、戦況が良くなくて日本の軍部は、日本軍隊の補給路を朝鮮半島経由満州にもとめていたのではないかと思います。

「再び何日の日にこの港をみることが出来るであろうか」
 と、父は言っています。

 父が再び釜山を見たのは、昭和40年の国交回復後に三年でした。韓国の鉄道関係の人が招聘してくれたそうです。どんな思いで釜山港を見たのでしょうか。その二年後の昭和45年に父は72才で他界しました。
 
「敗戦という悲惨事の中在って恵まれた」
と、父が言っていることは救いです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(78)です。いよいよ終わりが近づいてきました。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年09月11日 19:32 |

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