生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(76)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
12月27日
船は明朝出帆であるが夜十一時にはライト中佐が再び舷側に姿を現して固く握手して最後の別れを惜しんだ。後任の金錫関新局長も埠頭まで来て見送って呉れた。こうして釜山地方局として公式に最後の引揚を行った一行は局長の外、本山埠頭長、伊藤ホテル主任、西田秘書、小林東莱管理人夫妻、近藤通訳の七名であった。
船は日本の船という気安さもあって終戦以来張りつめていた緊張感から始めて開放されて、船長の提供してくれた特別室に各自持込みの食糧を開きウイスキーに気炎を挙げ、深更に到るまで朝鮮の最後の夜を楽しんだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

 ライト中佐とは、父多聞の総督府交通本局釜山地方交通局長の椅子を襲った人です。父は、釜山に進駐・駐屯した米第40師団の師団長(マイヤー少将)の正式依頼を受けてライト中佐の 補佐役として協力しました。 
 米軍は、可及的速やかに南朝鮮半島人に日本国総督府を引き継がせるつもりでしたから、釜山でも父の釜山地方交通局長を、一旦ライト中佐が継承した後、金錫関新局長に引き継がせたものでした。

 ―― 南朝鮮半島の人は、日本が構築した鉄道や港湾などのハードウエアだけでなく、国家組織である総督府というソフトウエアを無傷で継承したのです。
このことに対して南朝鮮人は、米軍に対して感謝すべきです。武力革命を起こして奪ったのではなくて、米軍に「手取り足取り」指導されてハードとソフトをそっくり継承したのですから。

それだけではありません。民間日本人が汗水たらして蓄積した財産(不動産と預金現金)を「濡れ手で粟」を掴むかのごとく継承しました。
私の家は、前述のようにたしかに家財道具は日本に持ち帰りましたが、朝鮮半島で購入した土地や、預金現金有価証券は100%朝鮮半島においてきました。これに比べると米軍の厚意によって日本に持ち帰った家財道具の金銭的価値などはゼロに近いものでした。

 ―― 父と一緒に殿(しんがり)を勤めた7人の顔ぶれが面白いですね。埠頭長は、日本人引揚のための船舶輸送が主たる業務でしたから、最後まで残っていたのは分かります。その他は、父の秘書、通訳、ホテル主任が2人と妻1人。つまり、父の身の回りの世話をする人達でした。
父の義侠心を感じて一緒に行動した人達でした。徳寿丸は京城の徳寿宮に因んで命名されていますが日本の船ですから、もう日本に帰ったような気分になったのでしょう。ウイスキーは、さぞやうまかったでしょう。
 
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 ―― 次回は(77)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年09月09日 17:37 |

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