生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(69)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

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12月16日
ライト中佐に昨日の結果を尋ねると一週間後に帰国を許すとのこととなったとのことである。これで京城本局と現地軍の意向が合致していることが確かめられた。米軍としては最初からクリスマスには返してやろうという肚であったらしい。そこで最後まで残って協力した局員の引揚荷物について特別の取扱いを許されるよう依頼する。
安東事務所長最上寺君、安東を引き揚げて挨拶に來る。安東は遠く孤立しており、ことに苦難の多かったことと思う。よく今まで頑張ってくれたと心からその労をねぎらう。

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以下は私田邉康雄のコメントです。
「一週間後に帰国を許す」
と、言われて父は安堵しました。

「引揚荷物について特別の取扱いを」
と、父は米軍に依頼しました。この点は、父もしっかりしていました。

この依頼は、父を信じて最後まで殿(しんがり)をつとめた側近たちへの配慮でもありました。側近とは、秘書、ホテル主任、ホテルレストラン管理人、通訳など父の身の回りの世話をする人達で総計7名でした。

約2週間後の12月27日に父は朝鮮を去りますが、去るに当たって米軍は、我が家(局長官舎)にあったすべての家財を軍用トラック2台で釜山から京都の実家まで運んでくれました。もちろん側近達も同様でした。敗戦後4ヶ月経た時点で外地から一切の家財道具を持ち帰った日本人はこの7名の外には居ないと思います。

現在東京品川の自宅で私が所有している(五段桐製桑張り)箪笥(写真)は、母が東京から京城の父へ嫁いできた際にもってきた「嫁入り道具」です。この箪笥は、85年掛けて東京⇒京城⇒釜山⇒京都⇒東京と、その間の日本近代史を経験してきました。

もしも韓国が言うように、韓国が日本に戰爭を仕掛けて勝利して独立したのであれば、私がこの箪笥を所持している筈がありません。朝鮮半島の南半分が米軍に占領されていたからこそ所持しているのです。この箪笥は子孫に、その歴史とともに引継ぎたいと思います。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(70)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年07月31日 09:37 |

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