生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(56)。


~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~


釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
12月1日
遂に十二月に入る。かねて十二月一日附で第二次第三次の局員解職が行われると情報されていた如く、本日より京城地区の交通局員の引揚輸送列車が始まる。二〇一六列車に主として京局(註:京城局のこと)員約二千人到着。
引揚輸送一段落につき去る九月二十五日より毎日釜山ホテルで開いていた会報を打切ることとなる。一方ならぬ好意を以て引揚輸送のため諸事便宜を計って呉れたライト中佐に感謝の辞を述べる。又釡局(註:釜山局のこと)武内運輸部長は毎日この会報に出席して米軍との間によく接触を保ち活動してくれた。本山埠頭長以下現場員も連日活動、引揚輸送の面倒をみたことも特記すべき功績である。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

「引揚輸送一段落」
 と、父はいっています。よく踏みとどまって米軍に協力したという思いでしょう。軍上層部や警察上層部が早々に、逃げるように内地(日本)に帰ってしまったことを知っている父の思いがこの言葉に籠っているようです。そして――。

「やっと解放されて帰国できる」
と、この思いが、局員「解雇」ではなく局員「解職」という言葉に込められています。

敗戦後京城にある朝鮮総督府交通本局の「本局長」は朝鮮に進駐してきた、ホッジ中将率いる米軍の将校が襲い、釜山にある釜山地方交通局の「地方局長」も同様に米軍将校が襲い、形式上父親には責任がありません。
しかし半島南半分の鉄道輸送と博多~釜山間の連絡船運行は、父の協力なしには円滑に進まないので、米軍は父を引止めていたものでした。それが「雇用」でもなく「解雇」でもない中途半端な状態でした。

―― 多くの職員は、解職を待たずに日本に帰国してしまい、この時点では列車運行は朝鮮半島人によっていました。その中、父は踏みとどまって米軍に協力して朝鮮半島人に列車運行管理技術を伝承しました。そして父の思いを分かち合う同志の職員がいました。

後で紹介しますが、父は
「逃げるように日本に帰るのは嫌だ」
「レフジー(避難民)のような姿で帰るのは嫌だ」
「人としての責務を果たし、米軍に見送られ堂々と帰りたい」
 と考えていました。

―― すでに紹介しましたが、日本人職員から朝鮮半島人職員へ移行する混乱の中、大列車事故を二度も起こして、内地から帰還した朝鮮半島人が数多く亡くなりました。
父は、事故が発生した土地の青年団が主催する険悪な追悼式に「堂々」と出席しました。帰国してしまった運転士等の日本人職員を非難する、朝鮮語の追悼の辞が次から次へと述べられる中、唯一日本語で弔辞を述べました。その際、「死を覚悟した」と言っています。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」
と言われていますが、父も常に「死」を意識し、同時に武士道的「美」を追求していました。その「美」に関しては、この日記の最後で明らかになります。お待ちください。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(57)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年06月27日 06:55 |

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