生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(51)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

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11月25日
本日現在に於て引揚同胞数二十七万人、引揚朝鮮人、四十五万五千人。従って最近の一ヶ月間は輸送実績は引揚邦人十九万人朝鮮人二十九万五千人という大きな成果を挙げている。
 十一月始め頃より釜山駅楼上に局員引揚輸送本部なるものが設置され奥地より引揚げの局員の足溜りとなっている。

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以下は私田邉康雄のコメントです。

敗戦後3カ月と10日経た時点で朝鮮半島から日本内地へ引揚げた日本人は27万人。それに対して日本内地から朝鮮半島に引き揚げた半島人は45.5万人と、父は言っています。この数字は、当時の「刻々動く」人の移動の統計がない状況に対して貴重なものだと思います。父の数字は、運行責任者として把握した「運行実績」に基づいていますから。

―― 半島人の引揚者
この数が日本人の引揚者数よりも多いことに注目してください。内地の軍事産業等に「出稼ぎ」に出ていた人が半島の実家に帰ったのです。これを「戦時徴用」と言っていました。戦時徴用のことを、首に縄をつけて連れてきて、無報酬で強制労働をさせる徴用のように思っている人がおられるようですが、そうではありません。受け取る側としては不満足であったにしても報酬を支払っていたのです。その人達が職を失って半島の家族の下に帰ったものでした。

しかし帰る実家の無い人は、内地に残らざるを得ません。これが在日韓国人と在日朝鮮人です。実家の無い人というのは、日韓併合以後、朝鮮半島の苦しい生活から逃れて3K(きつい、きたない、危険)でもいいから内地で稼ぎたいと考えて亘ってきた人達でした。日韓併合の状況では、内地人が半島に自由に行けることはもちろんですが、半島人も内地に自由に行けました。

―― 「戦時徴用」という言葉に因んで紹介します。
「女子挺身隊」ということばがあります。私の従姉大澤貞子は、終戦の年に京都にいました。そして同志社女学校に通っていました。そして女子挺身隊として飛行機部品製造工場にでていました。
女子挺身隊のことを慰安婦と言って宣伝している人(作家?)がいるそうですが、そうではありません。従来労働をしなくてもよかった「良家」の女の子がお国のために工場に働きにでたものでした。そして無報酬でした。非常時ですから、日本人学徒は全員お国のために無報酬で働きました。小学校3年生だった私も、松の「根っこ掘り」に学業時間を返上して小学校の裏山に登りました。ガソリン代替「松根油」抽出のための「根っこ掘り」でした。そういう時代でした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(51)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年05月30日 08:41 |

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