生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(49)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~


釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

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11月18日
釜山局長官舎も広過ぎるので住宅不足の際でもあり、やがて私の後任ともくされている金錫寛氏一家に同居してもらうこととした。食事一切は金一家の厚意によることとしたが朝鮮生活二十年になるが未だ朝鮮の家庭料理がどういうものであるのか知る機会の無かった私にとってこれは望外の良い思い出となった。なかなか栄養があり、且つ美味であることを知って朝鮮料理は不味いという概念を訂正しなければならぬと思った。

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以下は私田邉康雄のコメントです。

父が言う「釜山局長官舎」は、敷地約1000坪、建物約100坪(和室六部屋、洋室二部屋、納戸、表玄関と内玄関、台所、風呂)の大きな平屋でした。総督府交通本局釜山地方交通局長は、釜山市を包含する総督府慶尚南道知事よりも格が上でしたからこのような大きな官舎を与えられていたものと思います。

隣に局長秘書官と局長公用車運転手の官舎がありました。釜山港を見下ろす小高い山の斜面にあり、眼前には対馬がよく見えました。

崖下の道路を挟んで向い側に陸軍の将官や佐官用の官舎がありました。米軍は、日本陸軍の解体と復員(帰国)を最優先していたので、この時期には陸軍官舎は「ガラ空き」だったと思います。その分だけ不用心だったのでしょう。そこで父は、金錫寛氏一家に同居してもらうこととしたのだと思います。

すでに述べたとおり、祖父田邉朔郎夫妻が京都で死去したので、父は家を守るべく母、兄、弟を敗戦の三か月前に京都に帰しました。そして広島原爆投下の直後に、「京都も危ない」との母親の判断によって長野県の伊那に疎開しました。ですから父が米軍に協力していたことはこの日記を見るまでは知りませんでした。

父親も言う通り、私達は朝鮮料理を食したことがなく、その美味さをしりませんでした。ただしいキムチだけはよく食していました。しかし現在店頭に出回っている真っ赤な色をしたキムチではなく、いわば白菜漬けのような色をしたもので、上品にニンニクの香がしていました。

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―― 次回は(50)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年05月24日 21:27 |

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