生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

« 韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(47)。 | メイン | 一般社団法人日本労働安全衛生コンサルタント会東京支部が行う、爆発火災リスクのアセスメント 社内研修、技術者研修  ~ 高度のアセス手法を導入強するより、各人感度の高度化を »

韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(48)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~


以下は、釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

11月16日(つづき)
 このあと局長は埠頭を第四から第一にいたるまで現地視察した。この夜局長を私の官舎に招待歓迎の宴を開いた。客側は大村局長時代に局付属室に居た人で旧知であった。地元側は今後の引継を円滑に行う関係もあり引合せ傍々金錫寛氏を同席させ、ホテル主任伊藤氏、秘書の西田も同席した。伊藤君は大いに腕を振ってくれて豪華なるスキヤキ。鯵サワラのグリルなど素晴らしい献立であった。これに浦項産のワインをアペタイザーに戦時中大切に保存してあった本場のスコッチウイスキー、日本酒、など、コーヒーのあとは浦項のブランデーという歓待ぶりであった。ハミルトン局長は心から打ち解けてくれて、こんな良いリキュールがあることを知っていたらこのあと八時から出席しなければならないもう一つの宴会を断って置くのだったなどとお世辞を述べ乍ら御帰館(田邉康雄の注、帰還の間違いか?)になったが、この夜の懇親会は占領当局との間に友好的な空気を醸し相互間に信頼感をもつ上に大いに有効であったと思う。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

ここでいう局長とは、朝鮮総督府交通本局大村本局長の後を襲った米国陸軍ハミルトン中佐のことです。「私の官舎」というのは
釜山市水晶町(朝鮮語では水晶洞、スヒョドン)にあった局長官舎のことです。私は、昭和18年12月から、昭和20年5月までここに父母、兄、弟と共に住んでいました。父が「秘書の西田」といっている西田さんの家は、私共の局長官舎の隣に位置していました。
 
―― 浦項というのは、朝鮮半島の東南に位置する漁港です。私も一度行ったことがあります。ここでワインや、ブランデーが製造されていたとは知りませんでした。これも日本が朝鮮半島の近代化に尽くした成果の一つであると思います。

 ―― 前にも書きましたが、父は第三高等学校(京都)でドイツ語を学んでいました。そして東京帝国大学法学部の政治科に、ドイツ語を選択して進んだものですが、米軍の将校と英語で話していたようです。英語もできたとは知りませんでした。

「この夜の懇親会は、友好的な空気を醸し大いに有効であった」
 と父は言っています。無骨な父でしたが、人間関係が大切であることは知っていたようです。

 これを読んでくださっている方にお願いします。韓国は、日本に独立戦争を仕掛けて日本から独立したのではないことを知ってください。父親がその生き証人です。そして父親と共に釜山に住んでいた私も生き証人の一人です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(49)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年05月06日 20:39 |

« 前の記事 | 次の記事 »

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)




youtue

京大OB・OGガイドブック

初回メール相談無料

エントリー検索

 

カテゴリー

アーカイブ

労働安全衛生マネジメントシステム

田辺コンサルタント著書の書籍紹介

商店街の街並み設計

田辺コンサルタント・グループ
代表取締役 田邉康雄
〒140-0014
東京都品川区大井6-20-6
TEL 03-3776-2495
FAX 03-5742-7695
お問合せフォーム

このブログを購読