生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(45)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
11月7日 
奥地から終戦後釜山へ送り付けて来て居た貨車積の引揚げ船荷物は、その後内地積出を禁ぜられたのでそのまま釜山埠頭に突込んであったが、貨車を遊ばせておくことはならぬ、急遽荷卸して京城へ廻送せよとショート少佐の厳命に接し対策に窮す。
11月12日 鉄道隊長ショート少佐に代わり Capt. Rogers 着任。この人は分かりのよい人で大いに助かる。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

「奥地」という言葉が使われています。
これを聞いて北朝鮮や満州のことを思い浮かべる方がおられるかも知れないのですが、そうではありません。すでにソ連と米国の占領区域は、38度線で分かれていたので、その南側のことです。ですから、京城(現在のソウル)周辺のことを父は奥地と呼んでいました。
しかしこの時期になると、38度線を「死ぬ思い」で脱出してきた日本人がいたことも事実です。私の結婚仲人の宗像英二(元日本原子力研究所理事長)さんが、そうでした。38度線を超える際、ソ連兵に狙撃されたと聞きました、この他にも同じような事例を多数知っています。

「貨車を遊ばせておくことはならぬ」
と、言われて父が困惑している様が目に浮かびます。「日本に持ち帰る荷物は、身につけるだけ」と言われて同胞の大切な荷物が埠頭の貨物の中に残っていたのです。ほんとうに胸が痛みます。

―― 朝鮮半島において8月15日まで(内地と異なり空襲もなく)平和に暮らしていた内地人が、ある日突然「身一つで内地に帰れ」と言われたのです。本当に胸が痛みます。

半島人の中には、内地に出稼ぎ目的で来ていた人が多かったでしょう。その多くは3K職場を求めてやってきました。これに対して内地人の「半島行き」は3Kではありません。第一、当時は3K職場すらない朝鮮半島でした。

内地の人は理想を求めて半島に渡りました。農業、工業が内地に比べてはるかに遅れていた半島を「日本並の水準に上げる」との政府の国策に呼応し、高い理想に燃えて高い学歴の人材が渡海しました。私の父親もその一人です。東大法学部を出て難関の高文に合格し、「官庁の中の官庁」と言われた「内務省」に入省しながら、朝鮮行を志願したのですから。

―― 半島に渡った内地人の多くは内地に実家がありました。「内地を食いあげて半島に渡った」という人は、ほとんどいなかったと思います。私の父もそうでした。京都に実家があり、実父母がそこに居り、父は嗣子であって、いつでも帰ることのできる状態で半島に勤めていました。
さらに言うと、私の母方祖父有賀光豊もそうでした。長野県上伊那郡南箕輪村南殿に実家を所有しながら、高文に合格して大倉省に入省し、朝鮮半島に渡りました。

これに対して半島から内地へ来た方は、(失礼ですが)「半島では人並みの生活を送ることが困難であり、いわば半島を食いあげて内地に渡った」という人がほとんどであり、半島には帰ることのできる実家をもたない人が殆どだったと、私は理解しています。

―― 内地から半島に渡った人は、半島の発展のために身を粉にして働き、半島に資本を蓄積しました。その資本を日本に持ち帰ることはしませんでした。その典型が、前述した私の母方祖父、朝鮮殖産銀行頭取有賀光豊です。
内地の資本を半島につぎ込み、半島で生まれた利潤を半島に蓄積しました。日本の法律による特殊銀行として設立された朝鮮殖産銀行であるにも拘わらず、半島で上げた利潤を内地に持ち帰ることはしませんでした。このことは、英国がインド資本を英国に持ち帰ったことと対照的でした。資本を持ち帰るとは、「搾取」を意味します。
なお、朝鮮殖産銀行は韓国独立後に「韓国産業銀行」と名称を変え、独立後の韓国の発展を大きく支えました。その状況は現在でも同じと聞いております。産業債権を独占的に発行し、融資先は個人ではなくて大企業です

―― 半島のために働いた、その内地人に対してある日突然「身一つで内地に帰れ」と、占領米軍から言われたことには、胸が痛みます。中には半島で成功し、半島で骨を埋めるべく内地の拠点を引き払っていた人もいたでしょうに。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(46)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年04月03日 15:20 |

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