生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(43)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
11月3日
 このところ失火が非常に多く今朝埠頭の旧海軍武官府及び埠頭局監視課建物全焼す。
引上輸送は順調なるも船舶輸送が円滑を欠き再び埠頭に残客が15,000人も留ることとなったので、米軍は国鉄に対し連絡船は二日に一往復、船舶運営会の船は三日に一往復すべきこと厳命あり。現在就航船は興安、徳寿、朝輝、雲仙、北鮮、間宮、大安の七隻、輸送力は合計15,000人である。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。

 「米軍の厳命」
 という記述があります。

ポツダム宣言を受諾するということは、こういうことです。すでに書きましたが、同宣言の結びは、「An alternative of Japan is utter destruction」という恫喝であり、これを受諾しています。
恫喝に屈した日本ですから、占領地域において、米軍は自由に命令を発していたようです。本敗戦後まだ3ヶ月しか経過していませんから、米軍としては、戦争気分だったのでしょう。

―― さて昨年10月23日に開始した父の日記の敗戦直後の南鮮釜山に於うける日記の紹介は、全23頁の内、16頁まで進みました。この日記は父が米軍から帰国を許されて釜山を去る12月27日までつづきます。
5ヶ月掛けて約70%完了したことになりますから、このペースで進むと、今後2ヶ月を要します。但し最近はペースが落ちているので、もう少し掛かるかも知れません。

―― 途中から御覧になっておられる方のために。
父の素性と立場を再度説明します。父田邉多聞は、1921(大正10)年東京帝国大学工学部機械工学科を卒業し、ただちに同法学部政治科に入学し、1924(大正14)年卒業と共に高等文官試験行政科に合格し、「官庁中の官庁」と言われた内務省に入省しました。
父は内務省管轄下の朝鮮総督府への配属を希望し、エンジニアでもある一面を活かして内地鉄道省鉄道(後、国鉄⇒JR)に比較して十分には発達していなかった朝鮮鉄道を、内地鉄道を技術的に凌駕するものに仕上げ、規模も内地鉄道省鉄道の1/3にまで拡大しました。
発展のために、ヨーロッパに2回、通算約1年間調査出張して当時最新の鐡道技術と運行管理を学び、それを鮮鉄に応用し「大」発展をもたらし、大東亜戦争敗戦時においては47歳にして朝鮮総督府交通本局釜山地方交通局長【高等官二等勅任官】を拝命していました。

父は大東亜戦争に負けたことを残念に思っており、その戦争を始めた東条英機をトップとする陸軍に対して戦後批判的になりました。因みにその影響を受けて私も大日本帝国陸軍に対して批判的です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(44)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年03月28日 10:38 |

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