生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(37)。

 ~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
<日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 
釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
10月21日
 第701列車で七時草梁発馬山に向う。10時15分略々宇通定時に馬山に着く。馬山駅に於て過日の普州線列車事故による殉職者局員中西工務課長外九柱の局葬を行う。
10月22日
釜山に船待中の引揚者は既に一掃せられ本日あたり客不足で船腹遊ぶ状態である。よって明23日より京城より毎日12時及び15時発の二本の引揚げ列車を運行する。これに46列車を合せ引揚げ列車三本となり今後全力を挙げて引揚輸送に当たることとなる。
 今夕の放送で朝鮮総督アーノルド少将の記者会見として日本人は私有財産を一切朝鮮人に売却せよ。内地へは一人1,000円以上の持ち出しを許さずといっている。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以下は私田邉康雄のコメントです。
朝鮮半島の南海岸線に沿って光州に到る鉄道が敷設されており、これを普州線と言いました。馬山とは、この普州線の沿線の駅であり、釜山の西約50kmにありました。
その先の普州駅で10月17日に発生した列車事故によって殉職した日本人鉄道員9名の局葬を執り行ったと言っています。

「局葬を執り行った」
と言っています。それならば、御遺体は丁寧に埋葬された筈です。局葬ですから、内地並みに墓石を立てたと思います。私は「この日本人の墓石がどうなったか」と懸念しています。
因みに紹介します。私が住んでいた釜山の裏山には、土饅頭がいくつもありました。これが朝鮮半島の方々の墓地であり、当時は土葬でした。ですから同じように土葬で埋葬されたものと推察しております。

 ―― 局葬に関連して想いだしました。
葬式列を何度も見ました。隊列の先頭が、携帯用「どら」を叩きながら、「アボジ・・・・・」「ジャンジャン(どらの音)」。隊列の人々が、「アボジ・・・・・」と言いながら大声で泣いている姿を見たことがあります。
 アボジは父親という意味だと知っていたのですが、「・・・・・」の部分は聞き取れませんでした。おそらく「死んだ・・・」と言っているのだと思いました。
「朝鮮語が禁止されていた」と言っている人がいますが、これで御分かりのように、そんなことはありません。

「私有財産を一切朝鮮人に売却せよ」。
「内地へは一人1,000円以上の持ち出しを許さず」と。
 1,000円は、戦後インフレ率が1万倍だといわれているので、現在の価値に換算すると、1,000円を10,000倍して10,000,000円となります。つまり、1千万円です。
 
―― しかし当時、庶民で1,000円の貯金を持っている人は少なかったと思います。仮に持っていたとしても実際は、「朝鮮銀行券」で持っていましたから、戦後の日本では、通用しません。
私共は、稀有な例として1,000円以上を所持していと聞きますが、日本に持ち帰って日本銀行券に換金しても、すぐに預金封鎖に遭って使えませんでした。敗戦直後の内地(日本)における生活の苦しさは、子供にも身に沁みました。その落差は「天と地」でした。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
―― 次回は(38)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年02月24日 12:07 |

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