生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(32)。

~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。
  <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>
           ~ 「植民地支配」の否定 ~

 釜山に住んでいた父田邉多聞の、終戦直後の日記です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
10月6日(つづき)
 釜山埠頭にある塩、鉄類など内地の必需物質の積出しが許可せられるようになった。しかし港湾労務者の質悪く能率上がらず、時々ストライキが起る。荷役担当の海陸運輸会社は、すでに日本人の統制力は失われ、朝鮮人によって運営されている。
10月16日
 朝霧の中に釜山の朝が静かに明ける。嘘のような平和情景である。今日も秋晴の好天気である。愈々天気も固まり朝鮮独特の美しい秋の空が見られるようになる。この秋は豊作だという説が流れる。民心安定のため喜ばしい。
金泉助役近況報告のため來る。中間駅は殆ど日本人従業員は引揚げてしまって居るが金泉程度の都市には尚相当の日本人が残留している。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 以下は私田邉康雄のコメントです。

「海陸運輸会社は、すでに朝鮮人によって運営されている」
 と、言っています。

 この事実は何を意味しているでしょうか――。
仮に欧米諸国がやったような搾取的「植民地支配」をやったとしましょう。その場合、敗戦から二か月も経ずして、民間会社が(植民地支配をうけてきたという)朝鮮人「だけ」では運営できなかったでしょう。なぜなら管理運営できる人材が育っていませんから。是非ともこの事実を知ってほしい。

 ―― 嘘のような平和情景である。
 と、父は感慨深い思いをしています。日本内地と北海道の主要都市は、米軍の民間人無差別爆撃によって「壊滅」していたにも拘わらず、日本が日本の一部として責任もって統治していた朝鮮半島の都市は全く無傷。一部、鐡道などが米艦載機による機銃掃射などの空襲は受けましたが、日本内地や北海道のような無差別爆撃は受けていません。父の、戦争に負けて平和になる「悔しさ」がひしひしと伝わってきます。

 ―― 朝鮮半島は無傷だった。
 今述べたように日本敗戦時、朝鮮は戦災を一切受けず「無傷」だったのです。日本の戦争によって朝鮮半島が荒廃したと言うような事実はありません。是非ともこのことを知っていただきたい。

 ―― 清国支配からの解放
 約400年間にわたる清国の「属国(朝貢国)支配」を受けて疲弊していた朝鮮半島を日本が清国に代わって、日本の一部として統治・育成し、清国時代の数百倍もの経済規模に育成して、それを日本が大東亜戦争で力尽きて倒れた際に朝鮮半島の民族にお返ししたものでした。
 今言った経済規模の比較数字には自信がありませんが、大ざっぱな比較としては間違いないと思います。江戸時代の日本と朝鮮半島の文化・経済を比較して見ると明らかです。
 清の属国下の「李王朝」と、日本の朝廷から征夷大将軍の宣下を受けた「徳川幕府」との差です。二国の間で文化面と経済面における大きな差がついたものでした。

 ―― 植民地支配?
 何度も繰り返しますが、日本は朝鮮半島を「植民地支配」していません。父の日記により、事実をもって御判断いただきたいと思います。
「植民地支配をしていた」と御主張される方々は、私の「殖民地支配」定義を見てください。すでにこの連載第(25)回において示しました。
 私が定義した、搾取的「植民地支配」という言葉とはほど遠く、日本は愛情をもって朝鮮半島の方々に接していたのです。大日本帝国内務省入省「朝鮮総督府」高級官僚(大正13年東京帝国大学法科大学政治科卒業、高等文官試験行政科合格、45歳で高等管二等勅任官)だった父田邉多聞も、愛情をもって接していた日本人の一人でした。

 ―― 朝鮮半島の荒廃
 後に「朝鮮戦争」によって半島は荒廃しますが、それは日本の責任ではありません。すでに第29回において書いたように、南朝鮮は米軍の軍政下にありました。
 南朝鮮半島(南鮮)の民衆が暴力を含む「主導権争い」に明け暮れたために国防がおろそかになったことが「北」から攻め込まれた原因になったと私は考えております。ですから、朝鮮半島の朝鮮戦争による荒廃は、朝鮮半島人の責任です。朝鮮半島人同士の暴力によって荒廃したものです。

 ―― 日本内地の日本人による荒廃?
 日本内地においては、日本人同士の暴力を含む主導権争いは、これをしておりません。天皇陛下の下で秩序ある行動をとっていました。ですから、米軍に国土を蹂躙され、国土が荒廃しましたが、日本人同士の暴力による国土の荒廃はまったくやっておりません。
 敗戦後私は、京都市に住んでおり、以上の話は小学校3年生から中学2年生頃までことであって、(朝鮮半島のことについては)父が解説してくれていたので、大東亜戦争後の数年間に於ける朝鮮半島と日本内地の政情よく記憶しております。家庭内に情報源と解説者(父親)があったものでした。

 ―― 米軍の失政
 南朝鮮半島人は、米軍の軍政下で独立に向かって動き、米軍がそれを阻止できず、サンフランシスコ平和条約以前に南朝鮮(韓国)の独立を黙認してしまいました。
 本来なら日本の一部ですから、日本が平和条約を締結する前に独立を黙認してしまった米国第24軍ホッジ司令官の無知・無能を嘆きます。
 これが今日にいたるまで韓国が(まるでとなりに日本がいることを無視して)傍若無人にふるまっている根本原因の一つであると私は考えております。

 ホッジ司令官(中将)を戴く米国朝鮮進駐軍(第24軍)は、東京のマッカーサー司令官(大将)を戴く米国日本進駐軍(太平洋陸軍)の配下にあったのですが、マッカーサーは日本の占領政策だけに没頭していて朝鮮までは気が回らなかったものと思われます。
 私は、現在の韓国の事情は、昭和20年8月から、昭和24年8月13日の李承晩による独立宣言までの米軍の失政に、すべての原因があると思っております。

 これに比べるとマッカーサーの日本占領政策には、(大きな不満はあるものの)ガマンできる範囲にあったと神様仏様に感謝しております。天皇制を残してくれただけでも神様仏様に感謝しています。日本の「国体」を破壊せず、かつ、「文字」を破壊(ローマ字化)しなかったことがガマン出来る範囲にあったと神様仏様に感謝しております。

 ―― 父田邉多聞の朝鮮人思い
 豊作の噂を「民心の安定」に結びつける父多聞の朝鮮半島人に対する愛情を感じます。これが朝鮮総督府高級官僚の心意気でした。
 私の母方祖父、有賀光豊(朝鮮総督府高級官僚(財務課長)、後朝鮮殖産銀行【現韓国産業銀行】頭取、勅撰貴族院議員)も父多聞を上回って朝鮮人に対する愛情はとても大きいものがありました。この話は父多聞の話とは別にいずれ「連載」で紹介したいと考えております。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 ―― 次回は(33)です。田邉康雄

投稿者: 田邉康雄 日時: 2014年01月04日 22:04 |

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