生涯現役エンジニアブログ

生涯現役を保つには何が必要か。齢70、自ら実践している筆者が失敗例を交え生涯現役エンジニアの実例を見せ、また新資格制度を提案します。

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~ マッカーサー配下の米軍は、日本の官僚制度をそのまま韓国に引き継がせた。   <日本は朝鮮半島を「植民地」として「支配」は、これをしていません>  ~ 「植民地支配」の否

韓国は日本と米国の支援によって円滑に独立できました(17)。

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8月17日
 今夜から釜山の灯火管制解除せらる。開戦以来四ヵ年、始めて釜山周辺の丘陵や市街に点々と灯が輝き出す夜景に接して、しみじみと戦勝の結果でなくこの美しさを眺める悲しさを味わった。
 本日朝鮮総督夫人一行隠密裏に釜山着。道庁手配の機帆船に一行の山の様な荷物を積込んで出帆内地へ向った。ところがその日悪天候のため風波高く、機帆船もボロ船であった上荷物を大半海中へ投捨て船足を軽くし、命からがら釜山へ舞い戻りコッソリと京城へ引返すという笑えぬ事件があった。
終戦直后の民心動揺して総督府首脳部の動向を異常な注意をもって観察して居た際のことであり、この総督府首脳部の態度は官民多くの非常な憤激を買うとともに総督府に対する信頼感は地に落ちた。

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以下は私田邉康雄のコメントです。

 まず、前回の日記に記載されていた「阿部信行(写真:ウイキペディア)朝鮮総督家族の逃げ出し」の結末です。巨大鉄道だけでなく、大きな旅客船の運航をも行っている父親が、個人用機帆船を準備させられたことの悔しさが伝わってくるとともに、逃避行が失敗してさぞや心の中で喝采していたと推定します。口の悪い私でしたら側近に向かって「ざまー見ろ」というところですが、武士の子である父がその下品な言葉を口にする訳はありません。

 ―― 父の「戰爭に負けてはダメ。負けて平和になった悲しみをつくづく感じた。戦争のプロが負けるとは何事だ」との思いはひしひしと伝わってきます。「一億総玉砕」が実行されていたら、父の立場なら間違いなく玉砕組に入ると覚悟をしていたでしょう。そして一億総玉砕とは、「家族も死ね」ということです。

 ―― 話変って、徳川家康公の家臣団の結束の秘密を御存じでしょうか。家康公は戦いに臨んで、「妻子も死ね」という命令を出したでしょうか。家康公は、自分の為に死んだ家臣の子孫は、末代まで「めんどう」を見るとの原則を確立し、実行していました。現に戦死した家臣の子孫は、幕末までめんどうを見てもらいました。
 関ヶ原の戦いの直前、伏見城に残って石田光成の進軍をストップし、討死した鳥居元忠の子孫の一族と、武田勝頼の長篠城攻めに当たり死を覚悟して城兵に向かって「援軍は來る」と叫んでその場で張り付け刑になった鳥居強右衛門の子孫一族は、幕末まで面倒を見てもらい、現在残った一族が「鳥居会」という大きな会を持ち、また、ある人は徳川将軍家譜代大名、旗本、御家人等子孫の会「柳営会」の会員として生き残っています。家康公のために死んだ鳥居元忠と鳥居強右衛門のDNAは400年を経た現在まで生き残っているのです。「一億総玉砕」を主張した陸軍は、一体何を考えていたのでしょうか。日本人のDNAを消滅させてもよいと思っていたのでしょうか。私も父同様に帝国陸軍を憎んでおります。

 ―― 父は「敗けて釜山の夜景を楽しむ悲しさをつくづくと思った」と言っています。軍隊は、「勝つ戦争」をしなければなりません。このことに関しても父は陸軍に批判的でした。

投稿者: 田邉康雄 日時: 2013年12月14日 10:18 |

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